サッカーの話をしよう
No.568 第3GK土肥洋一
「駒野、今野、田中など、初選出の選手の良い面が見られ、われわれにとっては良い大会となった」
韓国で行われていた東アジア選手権の最終日に韓国を下した日本代表のジーコ監督はご機嫌だった。しかし彼が最も喜んだのは、GK土肥の活躍ではなかったか。
相手に押し込まれ、18本ものシュートを浴びせられた韓国戦、土肥はまさに完璧な守備を見せた。ゴールに飛んだ韓国のシュート6本を、ことごとく防いでしまったのだ。とくに前半35分、ロングパスからFW李東国に突破されたときの守備は圧巻だった。土肥は最初のシュートを大きくはじき返し、さらにそれを拾われて再度放たれた低いシュートにも正確に反応してストップした。土肥の神がかりの活躍がなかったら、前半のうちに日本は大きく崩れていたかもしれない。
土肥洋一(FC東京)は1973年7月25日生まれ、現在の日本代表で最年長の32歳である。熊本県の大津高校から92年に日立(現在の柏レイソル)に加入。最近安定感を増して「日本代表入りも間近」と言われるジェフ千葉のGK櫛野亮一は高校の後輩である。
柏は94年にJリーグに昇格、土肥は96年に完全レギュラーとなった。しかし98年にポジションを失い、2000年にFC東京に移籍。以後6シーズン、彼はJリーグの全試合に出場している。7月までに記録された168試合連続出場はJリーグ記録。まさに鉄人だ。
しかし土肥という選手が日本代表にはいっていることを知らないファンも多いのではないか。日本代表入りして2年以上になったが、大きな話題になることもなく、地味な存在であるのはたしかだ。「第3GK」であるからだ。
ひとつの試合にエントリーするGKは先発とサブの2人。しかしフィールドプレーヤーのように戦術的な要請で試合中にGKを交代することは、通常ない。サブGKには、先発GKに負傷や退場があったときの要員である。「第3」は、さらにその次のGKだ。
今回のような「大会」では、GKを3人連れていく。第1GKが負傷したり退場になったときにGKが2人だけだと、次の試合ではGKのサブがいなくなってしまうからだ。しかし「第3」に出番が回ってくることはほとんどない。
ジーコの「第1GK」はずっと楢崎正剛(名古屋)だったが、昨年8月のアジアカップでの活躍を期に川口能活(磐田)がポジションを奪った。代表入り以来、土肥は常に彼らの後にランクされていた。常に代表に名を連ねているが、ワールドカップ予選では試合の前日に18人の最終メンバーが決められ、そこからもれるとベンチにはいることすらできない。土肥は川口や楢崎にも負けないトレーニングをこなしながら、試合になるとスタンドで観戦しなければならなかった。
そうしたなかで、土肥がどう練習に取り組み、どんな態度を取っているか、ジーコはじっと観察していたに違いない。第3GKはチームのなかで最も出場機会から遠い存在。だからと言ってふてくされていたら、チーム全体のモラルに悪影響を与える。
昨年11月、ワールドカップ第1次予選の勝ち抜きが決まったシンガポール戦(埼玉スタジアム)で、ジーコは土肥を先発させた。2月のマレーシア戦に次ぎ、2試合目の出場だった。マレーシア戦もシンガポール戦も日本の一方的な攻勢で、土肥の活躍のチャンスはそうなかった。しかしこの韓国戦では、十二分に実力を見せることができた。
「川口、楢崎、土肥...。目をつぶって誰にユニホームを渡してもだいじょうぶ」というジーコの言葉は、けっして大げさではない。
(2005年8月10日)
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