サッカーの話をしよう
No.569 キャップス
今晩のイラン戦で、ことしになってからの「国際Aマッチ」は15試合となった。
世界大会の予選、地域の選手権など「公式戦」だけでなく、親善試合も含めた代表チーム同士の対戦を総称して「国際Aマッチ」と呼ぶ。
国際サッカー連盟(FIFA)によれば、昨年1年間に世界中で行われた国際Aマッチは、史上最多の1066試合に達した。FIFAには205協会が加盟しているから205の代表チームがあることになるが、平均すると1代表あたり10試合強となる。
そのなかで、日本は昨年、22試合をこなした。アジアカップ(中国)という短期間でまとまった試合数をこなす大会があったことが大きい。ことしも、FIFAコンフェデレーションズカップ(ドイツ)、東アジア選手権(韓国)に出場したことで試合数が増えている。ことしも年末までに19試合になる予定だ。
日本代表の強化相手は、91年までヨーロッパや南米のクラブチームが中心だった。こうした試合はFIFAの分類では「国際Cマッチ」と呼ばれ、正式な代表試合には数えられない。日本で最も多くの「国際試合」に出場したのは釜本邦茂(代表出場1964〜77)で、なんと232試合にも出場しているが、「国際Aマッチ」はそのうち75試合にすぎなかった。
92年に日本サッカー協会は方針を変更し、日本代表の対戦相手は原則として代表チームに限ることにした。以後Aマッチが急増した。
現時点でのAマッチ最多出場数は井原正巳(代表出場1988〜99)の123。三浦知良(代表出場1990〜)の91が続く。これが現役最多だ。
代表Aマッチ出場は、サッカー選手にとって最高の栄誉と言われる。ヨーロッパに行くと、どの国にも、1回でもAマッチに出場した全選手の出場記録やプロフィールを詳細に記した記録集が発行されている。
イングランドでは、A代表出場を「キャップ」という言葉で表現する。そして実際に試合に出場するたびに小さなひさしと頭頂部に飾りひものついた帽子を贈られる。
これは19世紀からの習慣らしい。サッカー揺籃の舞台であるパブリック・スクール(私立の中高校)では、安全のためこうしたキャップをかぶったままプレーしていた。19世紀後半のイングランドのサッカーでは、各選手がそれぞれに自分の出身パブリック・スクールのカラーのキャップをかぶり、それで観客が選手を識別する目印にしていた。背番号がまだなかったからだ。
やがて1870年代にプロ化の波が押し寄せ、試合が激しくなって、試合中にキャップをかぶる選手はいなくなった。代表試合に出場するたびに、キャップをひとつ渡す習慣が生まれたのはこのころだった。代表に出場しても報酬は出ない。せめてその栄誉をたたえようと、代表カラーのキャップをつくり、出場選手に贈ったのだ。
「キャップ」の言葉は、そのまま、「国を代表し、国の名誉のために戦う」という意味となる。それは、日本代表監督ジーコが代表選手たちを語るときに常に使用するフレーズと重なる。
「代表選手たちは、いろいろなものを犠牲にして国のために戦っているんだ。心から応援してほしい」
今晩のイラン戦に備えて23人の選手が招集され、うち2人が負傷で辞退したものの、21人が準備の練習をしてきた。このなかで今夜「キャップ」を増やせるのは、多くて14人にすぎない。その14人は、間違いなく全身全霊をかけたプレーを見せてくれるだろう。
今夜の試合には、もはやワールドカップ出場権はかけられていない。勝者の手に残るのは、アジア最終予選B組1位という、まったく実利のない記録だけ。文字どおり名誉をかけた試合である。
(2005年8月17日)
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