サッカーの話をしよう
No.575 スポーツ環境優先のオリンピック計画を
台風17号が銚子沖を通り過ぎていた日曜日の午後、東京の駒沢オリンピック公園で試合をした。風は強かったが、雨雲はもう去っていた。今春はられたばかりの人工芝のピッチは、まったく問題はなかった。
駒沢公園にはメインスタジアムのほか一般のサッカーの試合に使うことのできる球技場が3面ある。ことしそのうち2面が人工芝になり、照明もついた。立派な更衣室もできた。東京都サッカー協会が2002年ワールドカップ記念事業の助成を受けてつくり、東京都に寄付したものだ。
小規模な改修作業はあったものの、駒沢公園のスポーツ施設は1964年の東京オリンピックのためにつくられて以来40年間、ほとんどそのままの形で使われてきた。2つの球技場への人工芝敷設と照明設備設置は画期的な出来事といってよい。昨年まで私たちは、雨が降ればどろんこになり、満足な更衣室もないところで試合をしてきたのだ。
東京都の石原慎太郎知事が「2016年オリンピック招致」を打ち上げて話題になっている。
なぜいま、「東京でオリンピック」なのだろうか。その背景には、経済波及効果、老朽化した都市インフラの再整備など、多層的な狙いがあるに違いない。しかし少なくともスポーツを「見る」面では、東京は新しい投資を必要とする場所ではないように思う。
その一方、市民がスポーツを楽しむための施設では、東京ほど貧弱なところはない。シャワーがないのは当たり前。更衣室がないところも多い。トイレさえ、満足に使えるものがないところもある。そして何よりも、絶対数がまったく足りないのだ。
なかでも、サッカーの試合ができるグラウンドの少なさは絶望的だ。90年代前半にJリーグ・ブームで草サッカーチームが急増した。しかしその多くは、あまり活動できずにつぶれてしまった。練習や試合をする場所がなかったからだ。
公営の施設の大半は区や市が所有し管理している。その施設を借りようとすると、抽選手続きの煩雑さと倍率の高さに呆然とする。東京でサッカーの試合ができる場所を探すのは、広大な砂漠でオアシスを探すようなものなのだ。
さらにここ10年間のうちに、都内で企業が所有していたグラウンドが次つぎと消えている。東京における社会人のサッカーを支えてきたグラウンドを企業が手放すとき、区や市が買い取って市民のためのグラウンドにすることは非常に稀で、多くは大規模なマンションになってしまっている。
日本代表、なでしこジャパン、Jリーグ、L・リーグ...。超一流のプレーを見てサッカーを始める少年や少女が増えても、その大好きな競技を一生続けることが難しいのが、東京という都市の現実なのだ。そしてサッカー以外のどの競技においても、その状況は大差ないだろう。
東京は、その市民スポーツのシンボルである駒沢オリンピック公園のたった2つの球技場を今日的な施設に生まれ変わらせるのに40年間という年月を要し、しかも、都自体の力では実現ができず、外部の援助を必要とした街であることを思い起こさなければならない。
神宮外苑の再開発、多摩地区の交通整備など、石原知事はいくつもの私案を語っている。しかしこのオリンピック招致活動、そしてそれが成功したときのオリンピック開催によって、何よりも、市民がいつでも手軽にスポーツを楽しむことのできる街に東京をつくり変えてほしいと思う。東京全体を市民にとっての「スポーツ・オアシス」にするためなら、多くの人がオリンピックの招致活動に賛同するに違いない。
(2005年9月28日)
1993年から東京新聞夕刊で週1回掲載しているサッカーコラムです。試合や選手のことだけではなく、サッカーというものを取り巻く社会や文化など、あらゆる事柄を題材に取り上げています。このサイトでは連載第1回から全ての記事をアーカイブ化して公開しています。最新の記事は水曜日の東京新聞夕刊をご覧ください。