サッカーの話をしよう
No.586 カズ魂
勝利が決まると、シドニーFCの選手たちは、ごく自然にサポーターたちのところに向かった。チームのサポーターではない。試合の途中から日の丸を広げ、パワフルに「カズ・コール」を繰り返していたサポーターたちだ。
何人かの選手がカズをつかまえようとする。カズ(三浦知良)は「とんでもない」と逃げる。しかしその「小競り合い」が何回も繰り返されると、カズはようやく観念し、大きな選手たちに軽々とかつがれると、晴れやかな表情でサポーターに手を振った。
12月16日、FIFAクラブワールドチャンピオンシップを目指したカズの40日間の挑戦が終わった。ことし誕生したばかりのシドニーFC(オーストラリア)にとって、国立競技場で行われた5位決定戦でエジプトのアルアハリを2-1で下したことは、何よりの勲章になるだろう。そしてカズは、その勝利に欠くことのできない攻撃のリーダーだった。
1967年2月生まれ。カズのサッカー人生は、挑戦の連続だった。15歳で高校を中退してブラジルに渡り、そこでプロとして認められ、23歳で帰国すると、Jリーグ誕生前後の日本のサッカーのエースとして国民的ヒーローとなる。しかしその地位をあっさりと捨て、94年には日本人として初めてイタリアのセリエAに挑戦した。98年ワールドカップの予選突破に貢献しながら代表からもれると、翌年には自らを奮い立たせるようにクロアチアに飛び立った。
Jリーグでは、Ⅴ川崎(現在の東京Ⅴ)のほか、京都、神戸でプレー。ことし夏、監督が交代した神戸でチーム構想から外れると、J2の横浜FCに移籍して、チームだけでなくJ2そのものを活気づかせた。J1からJ2への移籍にも、カズには暗い雰囲気など皆無だった。それどころか、カズがいるだけで周囲の選手たちは輝くばかりに明るく、前向きになった。
わずか40日間、6試合ではあったものの、シドニーFCでも、カズは同じだっただろう。このチームの選手たちの多くも、カズからプロとは何かを学び、どんな強豪にも臆せず、恐れずに挑戦する姿勢を植えつけられたに違いない。試合前のウォーミングアップでチームの先頭を走り、チームメートに声をかけるカズを見て、それがよくわかった。
カズがシドニーFCで最後の試合を戦った翌日には、同じ38歳のゴン(中山雅史)が磐田と新たに1年間の契約を結んだ。山本昌邦監督の下、急速にチームの若返りを進めている磐田だが、ひたすらゴールに向かっていくゴンのプレーとプロとしての姿勢が、まだまだ必要との判断だったのだろう。
「より成長できるよう努力していく」という彼のひと言だけでも、磐田が賢明な選択をしたことがわかる。
カズとは対照的に、ゴンのプロ生活は磐田とその前身のヤマハひとすじだった。しかし彼も、間違いなく「挑戦者」だった。30代後半にして、「もっとうまくなりたい。もっとゴールを挙げられるようになりたい」と、常に成長を目指す姿勢を保ち続けることはけっして容易ではない。そしてその成長をチームに対する貢献として表現できる選手は、本当にまれだ。
2006年、ジーコ監督率いる日本代表は3回目のワールドカップに臨む。1次リーグは、オーストラリア、クロアチア、ブラジルと組んだ。簡単な戦いであるわけがない。しかし恐れる必要はない。一人ひとりの選手が一歩でも成長しようと努力を続け、相手を恐れずに試合に臨むことができれば、必ず道は開ける。
カズとゴンは、過去十数年間、そうした勇気を私たちに与え続けてきた。来年の日本代表に何よりも必要なのは、「カズ魂」であり、「ゴン・スピリット」であるに違いない。
(2005年12月21日)
1993年から東京新聞夕刊で週1回掲載しているサッカーコラムです。試合や選手のことだけではなく、サッカーというものを取り巻く社会や文化など、あらゆる事柄を題材に取り上げています。このサイトでは連載第1回から全ての記事をアーカイブ化して公開しています。最新の記事は水曜日の東京新聞夕刊をご覧ください。