サッカーの話をしよう
No.591 ロマンティックJリーグ
Jリーグはロマンティックだ----。シーズンオフ、そんなことを考えている。
1月22日、日本にイビチャ・オシムが戻ってきた。J1随一の貧乏クラブ(失礼!)ジェフ千葉をこのヨーロッパ屈指の名監督が辛抱強く育てて3年、心臓に不安をもつ大きな老体にムチ打って、なんともう1シーズン、面倒を見てくれるというのだ。
もちろん、ベストセラーのリストにはいっている自分のことを書いた本の宣伝のためにやってきたわけではない。千葉を率いて何事かを成し遂げてやろうという意欲満々、新たなシーズンに臨むのだ。それだけで、Jリーグがどんなにロマンに富んでいるか、十分に証明されている。
昨年のJ1では、最終節を迎えたときに優勝の可能性をもつクラブが5つもあった。そのうち2つは、シーズンの序盤には最下位を経験したチームだった。リーグの3分の1もの日程が終了した時点で2位に10勝ち点差もつけていたクラブが最終的に4位だったという事実は、外国の人に話しても誰も信じてくれないだろう。「何事も起こりうる」のがJリーグだ。
「プロスポーツ不毛の地」と言われた新潟で、1試合平均4万0114人ものサポーターが集うアルビレックス新潟の存在は、市民、県民だけでなく、Jリーグ全体の誇りであり、希望だ。無数の人びとの献身と創意工夫で無から新潟平野に立ち上げた巨大な塔は、いま、豪雪に見舞われた県民の心に温かい光を降り注いでいる。
最大のロマンは、ヴァンフォーレ甲府のJ1昇格だ。J1で最も年間予算の少ない千葉のさらに3分の1程度の予算でJ1昇格を勝ち取っただけでなく、柏レイソルとの入れ替え戦ではその躍動的なサッカーで圧勝した。
J1に昇格したら大補強があるのかと思ったら、そうでもないらしいところがまた興味をそそる。大木武監督率いる「風林火山のイレブン」(「ヴァンフォーレ」とは、「風と林」という意味だ)は、サッカーというゲームを形づくる最大の要素とは何かを明確に示してくれた。それは、スター選手の数でも、まして選手の年俸総額でもない。プレーをしたいという個々の選手の純粋な意欲と、チームプレーを形づくる集団としてのアイデア、そしてそれをやり遂げる意志の力だ。
もちろん、試合には相手があり、いつも思いどおりにことが運ぶわけではない。それでも、甲府が今季、初参加のJ1で、見る価値のあるサッカーを生み出すことに、私は疑念を抱かない。
昨年「ワールドカップ予選の無効再試合」という未曾有の事態を引き起こしたレフェリーがその後も堂々とピッチに立ち、ファンが彼に敬意をもって拍手を送っているということも、Jリーグのロマンのひとつだ。それは、日本のサッカーの健全性と、ファンの知性の証明でもある。
サッカーの母国イングランドでは、ひとりの石油成金がロシアの大地から湧き出したアメリカドルの札束をサッカー界に撒き散らし、ロンドンの古ぼけたクラブを一夜にしてピカピカの「銀河軍団」に変身させた。彼のファーストネームが「ロマン」というのは、出来すぎたブラックジョークだ。
このクラブが象徴するように、現在のヨーロッパのサッカーを支配しているのは間違いなくカネだ。カネがなければ勝てない。勝てばそれがまたカネを生む。そうしてカネを追っているうちに、ファンやサポーターの手から遠く離れてしまったのが、現在のヨーロッパ・サッカーだ。
しかしJリーグにはロマンがつまっている。それは日本のサッカーが未成熟なことの証ではない。サッカーという競技を純粋に愛し、心から信じている人が、この国にまだたくさんいるという証拠だ。
(2006年1月25日)
1993年から東京新聞夕刊で週1回掲載しているサッカーコラムです。試合や選手のことだけではなく、サッカーというものを取り巻く社会や文化など、あらゆる事柄を題材に取り上げています。このサイトでは連載第1回から全ての記事をアーカイブ化して公開しています。最新の記事は水曜日の東京新聞夕刊をご覧ください。