サッカーの話をしよう

No.593 トリノ

 トリノでオリンピックが始まる。イタリアというと「南欧」のイメージがあるが、トリノは北緯45度。日本でいえば北海道の北端・稚内に近い。「冬季オリンピック」が開かれても不思議はない。
 この町を初めて訪れたのは1985年秋。サッカーでトリノといえば、もちろん、セリエAきっての名門、ユベントスの取材だ。念願のヨーロッパ・チャンピオンズカップで優勝、年末のトヨタカップで初来日が決まっていた。
 トリノは古代ローマの植民地として建設された町。紀元前218年、カルタゴ(現在のチュニジア)からスペインを経由し、アルプスを越えて攻め込んだハンニバルに破壊されたが、その後再建され、交通の要衝として栄えた。

 中世から近世にかけてイタリアは周辺諸国に食い荒らされ、分裂状態だった。しかしこの地方で勢力をたくわえたサルデーニャ王国が中心になってようやく1861年にイタリア統一に成功。その後3年間、新生イタリア王国の首都はトリノに置かれた。
 今回のオリンピックの開会式と閉会式に使用される「スタジオ・オリンピコ」は、私が取材した当時は「スタジオ・コムナーレ」と呼ばれ、ユベントスがホームスタジアムとして使用していた。1934年の第2回ワールドカップに向けて建設された古い競技場である。
 34年ワールドカップはファシスト政権の宣伝のために利用された大会だった。わずか180日の工期でトリノに建設された新スタジアムには、「スタジオ・ムッソリーニ」の名が冠せられた。「コムナーレ」と呼ばれるようになったのは、第二次大戦後のことだ。

 1990年ワールドカップを機に、ユベントスは北西の郊外に建設された7万人収容の新スタジアムにホームを移した。しかし私が取材した85年には「コムナーレ」で試合をし、隣接するグラウンドでトレーニングをしていた。
 更衣室は、試合も練習も同じだった。スタジアム内の更衣室で練習着に着替えた後、練習場に行くためには、かなりの幅がある公道を横切る必要があった。プラティニをはじめとした世界的なスターたちは路上で勝ち構えるファンにつかまり、わずか100メートル先の練習場に行くのに10分間もかかっていた。
 「ユベントスはトリノでは人気がないんだ」
 500人ものファンに囲まれた練習を見ながら、声もひそめずに「スタンパ」紙のオルメッツァーノ記者が語った言葉を、最初は信じられなかった。しかしこの町で市民に人気があるのは白黒のユベントスではなく、赤いユニホームのトリノ。市民の多くが自動車会社フィアットの関連企業で働き、そのフィアットのオーナーがユベントスのオーナーでもあることから逆に反発があるのだと、彼は語った。

 そのトリノは、1940年代に無敵を誇り、イタリア代表のレギュラーの大半を占めた。ところが1949年5月、遠征から戻ってきたトリノの選手たちを乗せた飛行機が市の郊外の「スペルガ」という丘に激突、18人もの選手をいちどに失った。そして、戦前から戦後にかけてセリエAで6連覇を誇った栄光は二度と戻らなかった。
 1950年ワールドカップでイタリア代表が1次リーグで敗退した原因も、主力をスペルガの悲劇で失ったことにあった。選手はそろえることができた。しかし彼らは飛行機での遠征を恐れ、ブラジルまで2週間近くかかる船旅を選んだ。結局、そのために調整不足になったのだ。
 現在トリノはセリエBで奮闘中だ。「スタジオ・オリンピコ」は、閉会式で使命を終えると、みたび名前を変え、トリノのホームスタジアムになる。新名称は「グランデ・トリノ(偉大なトリノ)」。1940年代の無敵のトリノにつけられたニックネームだ。
 このトリノ市を主舞台に、冬季オリンピックが始まる。その間、このコラムは、2週間ばかりお休みをいただくことになる。
 
(2006年2月8日)
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