サッカーの話をしよう
No.599 エトオの抗議
ことしのワールドカップで最も残念なのは、サムエル・エトオのプレーを楽しめないことだろう。
3年連続アフリカ年間最優秀選手賞に輝くストライカー。スペイン・リーグで他を大きく引き離す22ゴールを決め、所属のFCバルセロナ独走の原動力。だが祖国カメルーン代表はアフリカ予選で敗退し、4大会連続のワールドカップ出場を逃した。
しかし2006年を迎えて彼の名が世界に打電されたのは、そのスペクタクルなゴールによってではなかった。2月25日、スペイン・リーグのサラゴサとのアウェーゲームで起きたひとつの出来事によってだった。
事件は0−0で迎えた後半31分に起こった。圧倒的な攻勢のバルセロナ。左からのクロスをサラゴサがかろうじてクリアし、右CKとなる。コーナーに走っていくエトオ。ボールを置くと、地元サポーターの口笛が激しくなる。「ウー! ウー!」という奇妙な声が混じる。
そのとき、ビクトル・エスキナス主審が不可思議な行動に出た。笛を吹きながら本部ベンチのほうに走り、役員に盛んに何かを求めているのだ。エトオを見ると、右コーナーから離れ、エスキナス主審のほうに歩いてくる。あわててエトオに走り寄り、声をかけるエスキナス主審。しかしエトオは彼を振り払う。ピッチから去ろうとしているのだ。
サラゴサ・サポーターの奇妙な声は、サルの鳴き声をまねしたもの。黒人選手であるエトオに対する、あからさまな人種差別行為だった。
試合開始当初からエトオがボールに触れるたびに聞かれていたのだが、このCKのときに特に高くなった。あまりのひどさに耐えかねたエスキナス主審は、その声を止めるよう、場内放送で呼びかけてくれと頼んでいたのだ。しかしエトオは、これ以上の侮辱には耐えられないと、ピッチを去る決意を固めたのだ。
主審を振り切って歩き出ようとするエトオを止めたのは、チームメートのロナウジーニョだった。そしてサラゴサのブラジル人DFアルバロだった。2人とも黒人選手である。
ロナウジーニョはエトオの腕をつかむとこう言った。
「冷静になれよ。でもお前がどうしても試合を続けられないというのなら、俺もいっしょに出ていくよ」
最後に、バルセロナのライカールト監督が近寄ってエトオをなだめると、エトオはようやく落ち着き、試合に戻った。「あの声に勝つには、サラゴサをやっつけなくてはならない」と、やはり黒人の血を引くライカールト監督はエトオに話したという。
5分近くの中断の後、試合は右CKから再開された。バルセロナがシュートを放つとサラゴサの選手が思わず手で止め、与えられたPKをロナウジーニョが決めた。バルセロナはさらに1点を追加し、2−0で勝った。2点目のアシストはエトオだった。
ヨーロッパのサッカーでは数年前から人種差別が大きな問題になっている。EUの拡大によりどの国も急激に国際化が進み、それが逆に偏狭なナショナリズムや人種差別につながっているのだ。問題の根源は社会にある。だがサッカーのなかにも、サポーターが何を叫んでも野放しという無責任な状態があった。
エトオの抗議行動は大きな反響を呼んだ。国際サッカー連盟(FIFA)はさっそく行動を起こし、人種差別行動の懲罰規定を大幅に改定した。従来からあった出場停止、罰金、スタジアム使用禁止を強化するとともに、勝ち点の削減や自動降格あるいは失格など、サッカー面での厳しい処分を課すことを決め、加盟各協会にも同様の懲罰規定の制定を義務づけたのだ。
基本的に人種差別は社会の問題であり、サッカーだけで解決できるものではない。しかしサッカーのなかで断固とした態度を取ることが、やがて社会を変える力になることを、私たちは信じなければならない。
(2006年4月5日)
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