サッカーの話をしよう

No.605 ベッケンバウアーのワールドカップ

 フランツ・ベッケンバウアーの6回目のワールドカップが近づいた。
 1966年イングランド大会、70年メキシコ大会、74年西ドイツ大会を選手として過ごし、86年メキシコ大会、90年イタリア大会には監督として出場、そして今回、2006年ドイツ大会を地元組織委員会の会長として迎える。
 過去5回のワールドカップで、彼はいちどとして祖国に失望を与えたことはなかった。選手としては、準優勝、3位、優勝。監督としても準優勝、優勝と、ドイツを栄冠に導いてきた。今回は、ドイツのファンだけでなく、世界中からやってくるファン、そして世界の各地でテレビを見守る何億人というファンを楽しませなければならない。しかしその重圧のなかで、彼は静かにほほえんでいる。

 現役時代、彼は「カイザー(皇帝)」と呼ばれた。背筋をすっと伸ばし、どんなときにも冷静さを失わず、DFでありながら「タフ」「ハード」などという言葉からはほど遠いエレガントなプレーでチームを統率する。そして味方がボールをもつと、いつの間にか中盤に進出し、決定的なパスを通して得点を演出する。
 単に「マーク相手をもたず、守備ラインの背後に位置するDF」という意味だったイタリアの「リベロ」という言葉を、「自由に攻撃するDF」というイメージに変えてしまったのは彼だった。
 監督としても、彼は超越した存在だった。84年、ヨーロッパ選手権で惨敗を喫した西ドイツ代表の監督に就任したとき、彼は何の指導者ライセンスももっていなかった。西ドイツのサッカー協会は、「監督(ブンデストレーナー)」ではなく、「統轄責任者(チームシェフ)」という肩書きを与えた。そして2年後、彼はベテランを中心にしてチームを立て直し、ワールドカップ準優勝に導いた。

 圧倒的な強さで優勝を飾った90年ワールドカップ。決勝戦終了直後の彼の姿が印象的に残っている。抱き合い、狂喜する選手やスタッフたちから離れ、彼はローマ・オリンピック・スタジアムのピッチ上をひとりでゆったりと歩いていた。何かを反すうするように、ただ歩いていた。
 そのベッケンバウアーが、古巣バイエルン・ミュンヘンの会長からドイツ・サッカー協会の副会長に転身し、2006年ワールドカップ招致活動のリーダーとなり、いま、8年間にわたる仕事のフィナーレを迎えようとしている。
 ドイツ大会の公式マークは、06の文字が笑顔になっている。青、オレンジ、緑の三色は「いろいろな人種」のようでもあるし、3つの笑顔は家族のようでもある。いずれにしても、「笑顔」が公式マークに使われたのは初めてのことだ。

 これにはベッケンバウアーの意向が強く反映されている。2006年大会は、国内的にはスタジアムを一新し、新時代のサッカーに備えることが第一目的だった。しかしそれだけでは世界のサッカーに寄与することはできない。どんな大会にするか、考えあぐねていたベッケンバウアーの心をとらえたのは、2002年の韓国/日本大会だった。
 韓国と日本、ふたつのホスト国で、ベッケンバウアーはあふれるほどの笑顔に出会った。何か不都合があっても、ホスト国の人びとの善意あふれる努力があればサッカー楽しむことができる。2006年大会も笑顔にあふれる大会にしたい----。その思いをストレートに表したのだ。
 大会ごとに高騰し続けていた入場券を買いやすい値段にした。ホテルも、値上がりを抑えるよう最大限の努力をした。鉄道会社に全面的な支援を受け、観戦客が安くドイツ中を旅行できるようにした。「来訪客にやさしいワールドカップ」の実現に向け、彼は努力を惜しまなかった。
 そしてすべての準備は終わった。あとは、笑顔にあふれた大会を待つだけだ。
 
(2006年5月24日)
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