サッカーの話をしよう
No.630 チームからクラブへ
「リーグ戦化が必要なのはわかる。しかしとてもではないけれど運営しきれない」
日本サッカー協会が数年来続けているユース年代の「リーグ戦化」は、大幅に進んできたものの、まだまだ難問も多いようだ。
かつて、ユース年代の公式戦は、年に数回のノックアウト方式の大会しかなかった。負ければそこで大会が終了する。強いチームは全国大会まで勝ち進んで年に何十試合もできるが、弱いと悲惨だ。1年間で公式戦がわずか3つというところまであった。
たとえば10チームによるリーグ戦を考えてみよう。ホームアンドアウェー方式で考えれば、どんなチームにも18試合が保証される。試合によっては思い切って1年生にチャンスを与えることもできるし、ケガをしている選手に無理をさせる必要もない。何よりも、負けてもそこで終わりになるわけではないから、思い切った戦術や戦い方にチャレンジできる。
選手は試合と練習を交互に繰り返して成長していく。試合で出た課題を克服するためのトレーニングをし、違ったタイプの相手に合わせた戦い方を練習して試合に臨む...。そうしたサイクルを繰り返して伸びていくものなのだ。
その効用は誰もが知っている。しかし以前はそれができなかった。リーグ戦化するにはいくつもの課題があるが、現在、多くの地域で問題になっているのが、大会運営能力の不足だ。
ノックアウト方式の大会では、協会役員がすべてを運営し、チームは試合に行くだけだ。最初のほうは何会場も使うから大変だが、大会が進めば運営はあっという間に楽になる。しかしリーグ戦では、最初から最後まで運営の手間は減らない。10チームの大会なら、ノックアウト方式では9試合しかないのに、ホームアンドアウェーのリーグ戦では90試合にもなるからだ。
こうした問題を解消するには、試合をそれぞれのホームチームが責任をもって運営する以外にない。ところが、日本の多くのユース年代のチームには、監督あるいはコーチと選手、すなわち「チーム」しかない。これではホームゲームの運営は難しい。
たとえユース年代、また学校の部活動であっても、サッカーをする組織を「チーム」から「クラブ」へと成長させる必要がある。「クラブ」とは、体幹である「チーム部門」だけでなく、手足に当たる「クラブ運営部門」と「試合運営部門」を備えたものだ。サッカーは選手と指導者だけではない。運営する人や審判がいて初めて成り立つものだ。そのすべてがそろって、サッカーは「文化」となる。
協会がすべてめんどうを見てくれる大会に出かけていくだけでは、サッカーの一部分にすぎない。「クラブ」が組織を整え、独自にホームゲームを運営できるようにすることは、リーグ戦化の促進だけでなく、サッカー文化を広めることにもつながる。
(2007年1月10日)
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