サッカーの話をしよう
No.631 サッカーの探求者
「私たちは、いつまでもサッカーの探求者でなければならない」
1月5日から7日まで大阪で開催された「フットボール・カンファレンス」(日本サッカー協会主催)で、ゲスト講師のひとりとなったホルガー・オジェックが、彼が中心になって行った昨年のワールドカップ技術研究に関する報告の最後に語った言葉だ。
「カンファレンス」は日本協会の公認指導者を対象とした会議。「私たち」とは、FIFAの技術委員長である自らと、参加者である日本全国のいろいろなレベルのコーチたちの両方を示す言葉だった。
日本語で「指導者」というと上に立って下の者たちに何かを教えるというイメージがある。たしかに通常、コーチたちは選手より豊富な競技経験をもち、その知識や経験を選手たちに伝えていくという役割がある。
しかしそのコーチが自ら成長していく姿勢をもたなければ、指導はマンネリになり、選手たちの刺激はどんどん減っていってしまう。
「学ぶことをやめたら、教えることをやめなければならない」
2001年の「カンファレンス」で、当時フランス代表監督を務めていたロジェ・ルメールが語った言葉だ。日本代表のイビチャ・オシムも、毎日のようにヨーロッパのトップクラスの試合を見て、いま、世界で何が起ころうとしているか、探る努力を続けている。コーチたちが常に学ぼうという姿勢をもち、コーチ自身が成長していくことが、選手と、チームと、そしてサッカーの成長につながる。
しかしコーチたちが学ぶべきものは、世界のトップクラスだけにあるのではない。よく見ていれば、自分自身が指導している選手たちのプレーや行動から学ぶべきものは非常に多い。それどころか、サッカーを始めたばかりの少年少女たちから学ぶものさえ少なくない。
20世紀の最後の四半世紀の世界のサッカーの潮流をつくり、多くのチームの目標となったのは、74年ワールドカップでオランダ代表が示した「トータル・フットボール」だった。アムステルダムのアヤックス・クラブとオランダ代表を率いたリヌス・ミケルスがその革新的な戦術を思いついたのは、まさに自分が鍛えた若い選手たちのプレーを見ていたときだった。
オジェックは英語で話した。「student of the Game」と彼は表現した。平坦に訳せば、「サッカーの生徒」「サッカーを学ぶ者」ということになる。しかし私には、「誰かから学ぶのではなく、サッカーそのものから学ぶのだよ」という意味に聞こえた。だから冒頭のように訳してみた。
どんなレベルの試合であっても、目の前で行われているプレーをしっかりと観察すれば、必ず学ぶものがある。「カンファレンス」やワールドカップだけではない。学ぶ心さえあれば、学ぶべきものはどこにでもある。
(2007年1月17日)
1993年から東京新聞夕刊で週1回掲載しているサッカーコラムです。試合や選手のことだけではなく、サッカーというものを取り巻く社会や文化など、あらゆる事柄を題材に取り上げています。このサイトでは連載第1回から全ての記事をアーカイブ化して公開しています。最新の記事は水曜日の東京新聞夕刊をご覧ください。