サッカーの話をしよう
No.635 サッカー人がリーダーになり始めた
「カワブチのあとはカマモトがやるべきだ」
昨年1月、デットマール・クラマーさんと話す機会があった。日本代表をメキシコオリンピックの銅メダルに導いた名コーチ。「日本サッカーの父」とも言われる。その人が、質問もしないのにいきなり日本サッカー協会の時期会長について言及したのに驚いた。
しかしクラマーさんは日本サッカーの内政に干渉したわけではない。「サッカー組織のリーダーは、『サッカー人』であるべきだ」という信念を語りたかっただけなのだ。
サッカーが「ビッグビジネス」への道をたどり始めたのは1970年代からだった。世界中でテレビが急速に普及し、巨額のスポンサー料や放映権料がはいってくるようになったからだ。それまで入場料収入を中心に運営されてきたサッカーが、ビジネスとして急速にふくらみ始めたのだ。その速度は90年代にはいるとさらに増した。そしてサッカー界は「ビジネスマン」の手に牛耳られた。
国際サッカー連盟(FIFA)は1974年に会長に就任したブラジルの実業家ジョアン・アベランジェの下、コマーシャリズムと急接近し、ヨーロッパサッカー連盟はスウェーデンの実業家レンナート・ヨハンソンの下、テレビ界からそれまでの常識を覆す放映権料を引き出した。
国際組織だけではない。ヨーロッパの主要リーグ、そして主要クラブは、過去10年間の間に経営規模を10倍近くに拡大した。イングランドのチェルシーFCに代表されるように、億万長者による買収によってほこりをかぶった時代遅れのクラブが急速に主役の座に躍り出ることも珍しくはない。
しかしその結果、サッカーは豊かになっただろうか。多すぎる試合、過剰な報酬、ベンチで試合を見ているだけのタレント、そして過剰なプレッシャー...。過剰なアドレナリンに浸され、選手たちはセルフコントロールさえ難しくなっている。
状況を変えるには「サッカー人」がサッカーをリードしていくしかない。それがクラマーさんの考えだった。実際、ドイツにはフランツ・ベッケンバウアー、フランスにはミシェル・プラティニという元選手の協会リーダーが誕生し、影響力を発揮し始めていた。
そしてことし1月、プラティニはUEFAの会長選に出馬し、見事当選を果たした。ベッケンバウアーも、FIFA理事に就任した。「私はロマンチスト。サッカーのすばらしさを守りたい」と語るプラティニ。昨年セルビアと分離し、新しく国際サッカーの一員となったモンテネグロ協会では、やはり元ユーゴスラビア代表選手のデヤン・サビチェビッチが会長を務めている。
「ビッグビジネス」の時代が急速に終わるわけではない。しかし世界のサッカーはリーダーとして本物の「サッカー人」を求め始めているように思えてならない。何かが、確実に変わり始めている。
(2007年2月14日)
1993年から東京新聞夕刊で週1回掲載しているサッカーコラムです。試合や選手のことだけではなく、サッカーというものを取り巻く社会や文化など、あらゆる事柄を題材に取り上げています。このサイトでは連載第1回から全ての記事をアーカイブ化して公開しています。最新の記事は水曜日の東京新聞夕刊をご覧ください。