サッカーの話をしよう
No.640 卒業
真冬のような寒さが続いた3月。寒気が去ると、一足飛びに春になった。日本の3月は「別れ」の季節でもある。
クラブチームにはないが、学校のチームにはあるもの。それが「卒業」だ。学校のチーム自体は何十年でも続いていくが、卒業する生徒はチームから離れざるをえない。
何年間かいっしょにボールをけり、喜びや苦しさを分け合った仲間も、卒業とともにそれぞれの道へと分かれていく。サッカーを続けようと決心したら、自分にとって新しいチームにはいらなければならないことになる。
人間というのは、心のどこかで、自分が属する集団や仲間の存在に依存しているものだ。サッカーのようなチーム競技では、その度合いはより強くなる。
サッカーはひとりではできない。仲間と役割を分担し、力を合わせなければ試合にならない。当然責任も生じるが、孤独な戦いではない。励まし合い、助け合うことができる。そこから離れなければならなくなったとき、そうした集団の一員であることの心地良さに初めて気づく。
しかし卒業すれば、もう同じ集団の一員であることはできない。緊張感のなかで、新しいチームに飛び込んでいくしかない。
練習を重ねて築いてきたコンビネーションも、仲間や指導者から得た信頼も、すべてゼロに戻る。まず自分自身の名前を覚えてもらい、自分という人間を理解してもらうところからスタートしなければならない。この時期、進学とともに新しいチームにはいることで気が重いプレーヤーも多いのではないだろうか。
だが怖気づく必要などない。視点を変えれば、新しいチームにはいることは大きなチャンスでもあるからだ。
新しいチームには新しい指導者がいる。新しい仲間もできる。新しい環境のなかで、新しい自分を発見することができるかもしれない。中学のときには自分自身が生まれついてのDFだと思っていたプレーヤーが、高校のコーチによってFWとしての隠れた才能を見出され、飛躍のきっかけをつかむかもしれない。
慣れ親しんだ集団から切り離され、いったんひとりになって再スタートしなければならないことで、自分自身の内面にも変化が生まれるかもしれない。サッカーのプレーヤーというのは「チーム」という集団の中でしか存在しないが、プレーヤーとしての強さを決めるのはチームの強さではなく、独立した個人の強さにほかならない。新しいチームに飛び込むことは、その強さを身につける大きなチャンスでもある。
「卒業」とともに新しいチームに移る選手が日本中に何人いるかわからない。しかし恐れず、前向きに、明るく、そして勇気をもって取り組んでほしいと思う。
日本の4月は、希望に満ちた「新しいスタート」の季節でもある。
(2007年3月28日)
1993年から東京新聞夕刊で週1回掲載しているサッカーコラムです。試合や選手のことだけではなく、サッカーというものを取り巻く社会や文化など、あらゆる事柄を題材に取り上げています。このサイトでは連載第1回から全ての記事をアーカイブ化して公開しています。最新の記事は水曜日の東京新聞夕刊をご覧ください。