サッカーの話をしよう
No.642 暴力問題、メディアにも責任
またも残念な事件が起こった。準々決勝を迎えたヨーロッパのクラブカップで、先週、2日連続してスタジアム内で観客と地元警察が衝突し、負傷者や逮捕者が出たのだ。
UEFAチャンピオンズリーグの「ローマ対マンチェスター・ユナイテッド」、そしてUEFAカップの「セビリア対トットナム」。いずれも、ビジターのイングランド・チームのファンが関わった。
「フーリガン復活」と、ヨーロッパの人びとは考えた。一方イングランドでは、イタリアやスペインの警察がちょっとしたことに過剰反応した結果だと、やや違った反応が出ている。いずれにしても、スポーツの観戦や応援の場で起こってはならないことだ。
80年代に世界中に吹き荒れ、大きな犠牲を出した後、ヨーロッパでは90年代の後半になってようやく克服されたサッカー場での暴力事件。しかしことしになって、イタリア・カターニャでの暴動(2月)など、各地で血なまぐさい事件が続発している。
サッカーだけではない。ギリシャでは、女子バレーボールの応援をめぐって、2つのライバルクラブのファンが衝突し、政府がすべての団体競技の試合を中止にさせるという騒ぎも起こっている。
スポーツはスポーツでしかない。断じて戦争ではない。しかし問題が起きたケースを見ると、ほんの小さな出来事が引き金となって大きな事件に発展する雰囲気にあったのは間違いない。その原因は、対戦するチームのファン同士の過剰なライバル意識や、相手に対する敵視などだ。
クラブカップも準々決勝になるとそろそろ「頂点」が見えてきてファンの期待もピークに達している。ひとつのゴール、ひとつの判定に異常なほど反応し、異常に熱した空気のなかで相手チームのファンで埋まった観客席に物を投げ込んだり、挑発するような歌を歌ったりする。
いくら厳重な警備をしても、ファン同士を分離させても、そうした雰囲気を消すことはできない。むしろ対立感をあおるばかりだ。根本的な解決にはならない。
こうした事件を根絶するには、スポーツはスポーツであり、「生か死か」の問題でも、ライバル同士が互いに人格を傷つけ合うようなものでもないことを、ファンたちにしっかりと理解させるしかない。その責任は、主としてメディアにあると私は思う。
ところが、現代のメディアは逆に対立をあおり、相手を挑発するような役割を果たしてしまっているのではないか。試合の価値を大げさな文句で喧伝し、ファンが思わず走り出してしまうようにリードしているのではないか。
ヨーロッパだけの話ではない。日本でも、ことスポーツになると、メディアは無責任な「あおり文句」を連発してはばからない。スポーツの場であってはならない事件を起こさないためにも、メディアが自らの役割を認識し、自戒する必要があると思うのだ。
(2007年4月11日)
1993年から東京新聞夕刊で週1回掲載しているサッカーコラムです。試合や選手のことだけではなく、サッカーというものを取り巻く社会や文化など、あらゆる事柄を題材に取り上げています。このサイトでは連載第1回から全ての記事をアーカイブ化して公開しています。最新の記事は水曜日の東京新聞夕刊をご覧ください。