サッカーの話をしよう
No.652 木陰
「Jリーグのクラブも、こんな存在にならないといけないな...」
道を歩きながら、そんな思いにとらわれた。
先週の週末は、梅雨入り後とは思えないすばらしい好天だった。とくに土曜日は、雲ひとつなく、空気も澄み、夏至間近の強烈な日差しがじりじりと照りつけた。しかしグラウンドに向かう道は、思いがけなく快適だった。桜の並木が見事な木陰をつくっていてくれたからだ。
ほんの3カ月前は枯れ枝につぼみがふくらみ始めたころだったはずだ。あっという間に開花し、満開となり、花が散ると若葉が出て、いまは青々とした葉を枝いっぱいに茂らせている。そしてその枝は、太陽からのエネルギーを少しでも多くとらえようと大きな広がりを見せている。生命の神秘を思わざるをえない。
地中に張り巡らせた根から吸い上げられた水分は、太い幹を通り、枝を伝い、何十万枚もの葉の隅々にまで送り込まれる。濃い緑の葉は、その水分と太陽のエネルギーを原料に、樹木を育てる栄養をつくり出す工場だ。
しかし樹木は、大きく枝を広げて自らを成長させているだけではない。酸素を放出し、先週末のような日差しの下では私たちに美しい木陰を提供し、そして、なぜか人間の心を落ち着かせる景観まで与えてくれるのだ。
冒頭に書いた思いにとらわれたのは、ここまで考えたときだった。
Jリーグのクラブには、根を張るべきホームタウンがある。この樹木に豊かな水分を提供しているのはホームタウンにほかならない。ホームタウンは、練習や試合の会場を提供し、その人びとは入場券を買ってスタジアムを埋め、無条件の愛情を注いで声援を送ってくれる。ホームタウンがなければ、Jリーグ・クラブという木はすぐに枯死し、倒れてしまうだろう。
では、クラブはホームタウンにどんな恩返しをしているのか----。人びとに喜びを与えているだろうか。誇りになっているだろうか。そして、強烈な日差しをさえぎり、人びとに安らぎを与える木陰を提供しているだろうか。
もしかすると、自らのための水分を確保することだけに汲々として、ホームタウンにどんな価値を還元するのかにまで思いが至らないクラブもあるのではないか。あるいはまた、自らが目立とうとするあまり、枝を広げずにひたすら上へと伸び、「ランドマーク」にはなっても、豊かな木陰を人びとに提供できないクラブもあるのではないか。
成長するために根を張り、枝を広げ、天に向かって青葉を茂らせる自らの精いっぱいの生命活動のなかで人びとに無限の恩恵を与えている樹木。そうした「生命の達人」の域になるのは大変だろうが、Jリーグのクラブがもしそれに近づけたら、「百年」どころか、「千年」のいのちも可能になる。
(2007年6月20日)
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