サッカーの話をしよう
No.653 胸を張れ敗者
最近、ひとつのシーンを探して3万枚近くのJリーグの写真を見る作業をした。しかし結局見つからなかった。
探していたのは、「胸を張る敗者」だ。
誰でも勝つことを目指して練習し、試合に臨む。そして勝つために90分間走り、戦う。スタンドを埋めたサポーターはそんな彼らを信じ、献身的に声を挙げて励まし続けてくれる。しかし勝つ保証など、どこにもない。相手の力が上回るときもある。不運に見舞われることもある。引き分けでなければ、対戦した2チームのうちひとつは「敗者」とならざるをえない。
一生懸命にやってきたことが報われず、敗戦で終わったことに失意の念を抱かない者はいない。それは日本人に限らず、万国に共通することに違いない。しかしその後の「態度」には、大きな差異があるように感じる。
Jリーグの試合直後、選手たちがどんな態度をとるのか気をつけて見てみた。すると、負けたチームは、多くの選手が両手を腰に置いて下を向いていた。そしてぞろぞろと歩いてサポーターのいるスタンド前に行くと、まるで不祥事を起こした企業の幹部のように深々と頭を下げた。一方勝ったチームは、互いに抱き合い、握手し合って喜び、サポーターのところに走っていくと手を上げて歓呼に応えた。
ヨーロッパのサッカーにはこんなシーンはない。試合が終わると、ただ近くの選手と握手をかわし、集まるでもなく、スタンドに手を振りながらあっさりと引き上げてしまう。それだけを見ていると、どちらが勝ったのかさえわからないときがある。
こうした差異の背景のひとつには、「あいさつ」という文化の違いもあるだろう。「かたち」のなかに心を込める日本。そしてストレートな表現で心情を伝え合うヨーロッパ。文化なのだから、どちらがいいという話ではない。
しかしそれ以上に感じるのが、「敗戦は悪」、「恥じ入らなければならない」という日本固有の感覚だ。下を向くのは「自分は恥じ入っている」ことを示し、深々と頭を下げるのは「謝罪」を示す形式だ。
たしかに情けなくなるような敗戦もあるだろう。しかし勝負は時の運。選手にできるのは、全力を尽くすことだけだ。その結果、力が及ばなかった敗戦なら、それが意味するのは、よりいっそうの努力が必要ということだけだ。
敗戦はスポーツの結果のひとつにすぎない。けっして「悪」ではないし、「恥じ入る」必要もない。そうしたことをファンに示すのも、プロ選手たちの責任だと思う。
敗戦の悔しさを押し殺して顔を上げ、相手チームの選手たちと健闘をたたえあい、そして応援してくれたサポーターたちに感謝の拍手を送って引き上げていってほしい。下を向くのは、チームバスがファンの人波を離れてからでいい。スタジアムでは、「堂々と胸を張る敗者」であってほしいと思うのだ。
(2007年6月27日)
1993年から東京新聞夕刊で週1回掲載しているサッカーコラムです。試合や選手のことだけではなく、サッカーというものを取り巻く社会や文化など、あらゆる事柄を題材に取り上げています。このサイトでは連載第1回から全ての記事をアーカイブ化して公開しています。最新の記事は水曜日の東京新聞夕刊をご覧ください。