サッカーの話をしよう
No.657 ハノイの交通とコミュニケーション
思いがけなく(といっても日本代表が順調に勝ち進めば当然のことだったのだが)、ベトナムの首都ハノイでの滞在が3週間近くにもなった。
最初に驚いたのは、街なかのバイクの多さだった。広い道を走る車両の9割以上は小型のバイクあるいはスクーター。2人乗りどころか、3人乗り、4人乗りも珍しくない。そのバイクが、横に何台も並び、まるでパレードのように連なって、わがもの顔に道を流れていくのは壮観だ。
だが驚いた後に困った。道路の横断だ。都心でも信号の数は非常に少ない。あっても、自動車は守ってくれるが、バイク族はお構いなし。赤信号でも平気で走ってくる。必然的に、道路の横断は、突進してくるバイクのスキを縫いながらということになる。
コツは急がないことだ。ゆったりと渡れば、バイクのライダーたちがこちらを認識し、速度を落としたり、巧みによけてくれる。現地の人を見ると、バイクの流れの間を悠然と横断していく。
タクシーに乗るとおもしろいことに気づいた。しきりにクラクションを鳴らすのだ。しかしそれは「どけ!」というような響きではない。「後ろに自動車がいるよ。気をつけて」と、注意を喚起するものだった。ハノイでは、自動車も周囲のバイクに気を配りながらの運転だった。
こうした交通を見ながら、ふと日本のサッカーの指導の重要な一面を思い出した。
日本のサッカーで若いプレーヤーたちに最も強調しなければならないのは「コミュニケーション」だ。言葉もあるが、より重要なのは相手(仲間)の目を見て意思を通わせる「アイコンタクト」だ。
目と目が合わなくてもいい。相手の体勢、周囲の状況を見て、相手が何をしようとしているのか、何ができるのかを感じ取り、それに対応した動きや準備をすることはサッカーでは非常に重要だ。しかし訓練を受けていない日本の若いプレーヤーはこれが非常に苦手なのだ。
現在の日本社会を考えれば当然だと思う。街を歩いている若者は他人のことなどまったく気にせず、自分のあるいは自分たちの世界に浸っている。前から歩いてくる人がどう動くのかなどに関心を払う者もいない。道路の横断も、信号機だけを見て、青になったら自動的に足が前に出る。
他人の目や体の動きを見て意図を推察する、面識のない相手に気を配るといったことが非常に乏しい。道路を横断するという些細なことでも、自分で見て判断し行動を決するということがほとんど行われていないのが、現在の日本の社会なのだ。
ベトナムの若いプレーヤーを指導するコーチたちは「コミュニケーション」など強調する必要がないに違いない。彼らの日常生活がコミュニケーションと自己責任による判断の積み重ねだからだ。それだけでサッカーが強くなれるというものでもないが、「コミュニケーション」から指導しなければならない日本のサッカーが大きなハンディを負っているのは確かだ。
(2007年7月25日)
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