サッカーの話をしよう
No.664 スポーツは施設
「スポーツは施設」----。改めてそう思った。
オーストリア南部のクラーゲンフルトという美しい湖畔の町に1週間滞在した。日本代表が国際大会に招待され、地元オーストリア、そしてスイスと、この町に完成したばかりのスタジアムで対戦したからだ。
人口9万人の小さな町。中心部を抜けると緑豊かな住宅地が広がり、さらに行くとさまざまなスポーツ施設が見られる。たくさんのテニスコート、海のないオーストリアという国では意表をつくビーチバレーコート、そしてサッカーグラウンド。ここには、スポーツを楽しむ環境がふんだんにある。
フェンスに囲まれた施設だけではない。町の西に広がるベルター湖の湖畔には広大な公園があり、木立や美しく手入れされた花壇が芝生に囲まれて点在している。散歩にもってこいだが、サイクリングやランニングのための道が整備され、芝生の上では子どもたちが元気にボールをけっている姿を見る。湖では、手軽にモーターボートやヨットを楽しむことができる。
日本代表は、この町から車で1時間ほどの山中の小さな村に滞在し、そこのクラブのグラウンドを借りて練習をした。ある日の練習を取材した帰り、途中の村のサッカーグラウンドで少年チームの試合に出くわした。グラウンド周辺の道には選手たちの父母や町のサッカー好きの車がずらりと駐車してあり、グラウンドを取り巻く柵には隙間もないほど「観客」がはりついていた。こんなに楽しそうな週末の夕刻の過ごし方を見たのは、久しぶりだった。
スポーツを楽しむにはそのための施設が不可欠だ。そして施設さえ十分にあれば、あとはスポーツをする人たちが独自に組織をつくり、楽しむためのシステムを運営することができる。いや、組織などなくても、体を動かしたいと思ったときに気軽に出かけられる場所さえあれば、それぞれの好みに応じたスポーツの楽しみ方ができる。
豪華でなくてもいい。安全でさえあれば十分だ。スポーツ行政とは、だれもが手軽にそして手近にスポーツを楽しむことのできる施設を、とにかく増やすことではないか。土地がない国であれば、あるもの(現在はスポーツ施設としては使われていないものも含め)をどう生かせば、市民がスポーツを楽しむ環境を提供できるか、創意工夫するのが仕事であるはずだ。
手軽にそして手近に使える施設があれば、間違いなくもっとたくさんの人がスポーツを楽しむようになる。それぞれの体力レベルに応じたスポーツの楽しみ方ができるようになる。
何十億円も投じて立派な体育館を建設し、その管理・運営する人や規則ばかり増やして、市民のためでなく、「スポーツ行政のためのスポーツ行政」に熱を入れている間は、いつまでたってもこうした環境は実現しない。
(2007年9月12日)
1993年から東京新聞夕刊で週1回掲載しているサッカーコラムです。試合や選手のことだけではなく、サッカーというものを取り巻く社会や文化など、あらゆる事柄を題材に取り上げています。このサイトでは連載第1回から全ての記事をアーカイブ化して公開しています。最新の記事は水曜日の東京新聞夕刊をご覧ください。