サッカーの話をしよう
No.666 10年目の秋
「10年目の秋」がきた。
1997年、ちょうど10年前のいまごろ、国中が日本代表の戦いに一喜一憂していた。ワールドカップ・フランス大会のアジア最終予選が行われていたのだ。
9月7日に東京でウズベキスタンと初戦を戦い、6−3で勝った日本は、19日に気温39度のアブダビでUAEと対戦し、0−0で引き分けた。そしてロンドン経由で東京に戻り、いまごろは28日の韓国戦に備えていた。
このときには、これから訪れる苦難など予想もできなかった。韓国に敗れ、その後は3試合連続引き分け。なんと5試合、2カ月間近くも勝利に見放されたのだ。
カザフスタンと引き分けた晩、日本サッカー協会首脳は遠征先のアルマトイのホテルで加茂周監督の解任を決断した。以後は、代わって就任した岡田武史監督の下、苦しみながらもあきらめずに戦い抜き、ついにワールドカップ初出場を達成する。
岡田監督就任後も、ウズベキスタン、UAEと連続して引き分け、悲観的な空気をぬぐうことはできなかった。しかし協会首脳は動じず、岡田監督にすべてを任せた。その信頼が、ソウルでの韓国戦快勝、さらにプレーオフでイランを3−2で下して初出場達成につながる。
勝てなかった時期、当然、メディアの批判は厳しかった。しかしそのほとんどは、メディアの責任として主体的に行ったものだった。
それから10年目の秋、北京オリンピック出場を目指すアジア最終予選が行われている。サウジアラビア、カタール、ベトナムという強豪との4カ国の総当たりで1位にしか出場権が与えられないという非常に厳しい予選だ。
そのなかで、反町康治監督率いるU−22日本代表は、ちょうど半分の3試合を終わって2勝1分けで首位に立った。楽な勝利などない。しかし3試合で失点は0。全員がハードに戦い、勝負強さを発揮している。
ところが思いがけなく風当たりが強い。メディアからのストレートな批判ではない。なんと日本サッカー協会の川淵三郎会長からである。スポーツ紙が、得点した選手をヒーローと持ち上げる一方で、川淵会長がこう話したとか、こう示唆したなどのコメントを引きながら「次の試合で勝てなければ監督解任」などの記事を掲載しているのだ。
監督を代えたほうがいいという意見なら、ストレートにそう書けばいい。川淵会長も代えるべきと判断するのなら10年前のようにばっさりとやればよい。現在の現象はあまりに陰湿で見苦しい。
ホームアンドアウェー形式の予選は「勢い」だけで勝ち抜くことはできない。一喜一憂せず、最後までしっかりと腹筋を固めて戦い抜くしかないことを、私たちは10年前に学んだはずだ。U−22日本代表は、いままさにそうした戦いをしている。その足を引っ張る愚行は、そろそろ終わりにしなければならない。
(2007年9月26日)
1993年から東京新聞夕刊で週1回掲載しているサッカーコラムです。試合や選手のことだけではなく、サッカーというものを取り巻く社会や文化など、あらゆる事柄を題材に取り上げています。このサイトでは連載第1回から全ての記事をアーカイブ化して公開しています。最新の記事は水曜日の東京新聞夕刊をご覧ください。