サッカーの話をしよう
No.683 直感に頼る決断もある
ワールドカップの80年近い歴史のなかで、優勝はできなかったけれど長く世界の人びとの記憶に残っているチームがいくつかある。そのひとつが、82年スペイン大会のブラジル代表だ。
ジーコ、ソクラテス、ファルカン、トニーニョ・セレーゾという「黄金の4人」をMFに置いたブラジルは、夢のような変化に富んだ攻撃を次から次へと生み出し、世界中を夢中にさせた。準決勝にも進出できず、優勝トロフィーはイタリアの手に渡ったが、半世紀以上を経たいまも、世界の人びとの記憶にはブラジルの黄金のユニホームが躍っている。
しかしこの「黄金の4人」は、入念に構想され、準備されてつくられたものではなかった。むしろ「偶然の産物」と言うべきものだった。初戦で出場停止だったセレーゾに代わって出場したファルカンの出来があまりに良かったため、テレ・サンタナ監督は悩んだあげく、FWを1人減らして2人とも出場させることにしたのだ。
「MFに4人も並べるなんて、試したこともなかった。最後は直感だった」と、後にサンタナ監督は語っている。直感に頼った決断が、世界の人びとの記憶に残る「黄金の4人」を生んだのだ。
イビチャ・オシム前監督に代わって急きょ日本代表を率いることになった岡田武史監督は、ものごとを誰よりも論理的に考える人だ。いい加減なところでは妥協せず、しっかりと考え抜く。しかしそれでも「最後の決断は思い切り」だと言う。その思い切りの精度を上げるために日ごろずっと考えているのだと言う。
日本がワールドカップ初出場を決めた97年11月のイラン戦、岡田監督は2−2で迎えた延長戦の直前に大きな決断をした。FW岡野雅行の投入だった。
最終的に交代を告げる前に、岡田監督は延長戦への準備のために戦場状態になっている選手やスタッフたちから離れ、ゆっくりと、円を描くように歩いた。歩きながら、この時点でこの試合最後となる3枚目のカードを切ってしまうことのリスクと、相手の疲労、PK戦になったときのことなど、あらゆる状況を考えた。
そして最後の思いが、「いいや、岡野行け!」だった。思い切りだった。直感だった。
その岡野は、そのスピードを遺憾なく発揮して何回もチャンスをつくり、何回も失敗したが、延長戦終了間際についに決勝ゴールを決める。
「サッカーには正解がない」と、岡田監督はいつも話す。ひとつの決断をしたら他の道を試すことはできない。
「岡野を出していなかったらもっと早く決勝点がはいっていたかもしれない」
ワールドカップ初出場で日本中が沸き立つなかで、岡田監督はそんな話までした。
「正解がない」からこそ、自らの決断が大きな別れ目になることを意識しつつ、その決断を信じるしかない。そんな緊張を強いられるワールドカップ予選が、また始まる。
(2008年1月30日)
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