サッカーの話をしよう
No.697 痛がり屋の文化
5月21日のUEFAチャンピオンズリーグ決勝戦はイングランド同士の対戦となった。イングランドのクラブ、そしてプレミアリーグは、いまや人気だけでなく実力でも世界を席巻する勢いにある。
プレミアリーグの最大の魅力はスピード感だ。プレーが止まる時間が短く、FKやCKが実にすばやく行われる。そしてJリーグとの大きな違いは、ファウルを受けて痛がっている選手をほとんど見かけないことだ。
Jリーグでは、得点を見ない試合はあっても痛がっている選手を見ない試合はない。反則を受けて倒れる。そこまではプレミアリーグも同じだ。しかしJリーグでは、倒れたままの選手が1試合に何人もいるのだ。
深刻な負傷なのかと思うとそうでもない。プレーが止められ、レフェリーが寄ってきて何か話すと、平気な顔をして立ち上がる。何割かは担架で運び出され、タッチラインの外に出るとすぐに立ってピッチに戻りたいとアピールする...。
サッカー選手であれば、子どものころから何万回もの接触プレーの経験がある。痛みが骨折などの大けがなのか、ただその瞬間痛いだけなのか、ほとんどの場合即座に判断できる。それなのに、プレーを続けられないけがではないとわかっていても、大げさに痛がって見せるのである。
その結果、Jリーグの試合はたびたび中断する。担架が1試合で何回もピッチにはいるのは、世界広しといえどもJリーグだけなのではないか。あまりに頻繁に使われるので、担架に広告を掲載しているクラブさえある。
「痛がり屋文化」の背景には甘えの精神がある。ママが優しい言葉をかけてくれるまで起き上がらない子どもと同じだ。プロのサッカー選手ではみっともないだけだ。
「痛がり屋」を見るたび、、私はイングランド代表FWオーウェンを思い出す。06年ワールドカップのスウェーデン戦、彼は左タッチライン近くでタックルを受けて倒れた。試合開始からわずか1分。ひどい負傷であることは明白だった。しかしその直後、彼は信じ難い行動を取った。苦痛に顔をゆがめながら、自ら這ってタッチライン外に出たのである。もちろん、試合は中断されなかった。
彼の負傷は、左ひざの前十字靱帯(じんたい)断裂。全治5カ月という重傷だった。
Jリーグの会場で、私は何回もこう叫ぶ。
「立て! 痛いだけだろう?」
(2008年5月7日)
1993年から東京新聞夕刊で週1回掲載しているサッカーコラムです。試合や選手のことだけではなく、サッカーというものを取り巻く社会や文化など、あらゆる事柄を題材に取り上げています。このサイトでは連載第1回から全ての記事をアーカイブ化して公開しています。最新の記事は水曜日の東京新聞夕刊をご覧ください。