サッカーの話をしよう
No.722 15年ぶりのドーハで
ペルシャ湾に突き出した半島の国、カタールの首都ドーハに来ている。もちろん、今夜(日本時間午前1時半キックオフ)のカタールとのワールドカップ予選取材のためだ。
「ドーハ」というと日本のサッカーファンなら「悲劇」という言葉が浮かんでしまうだろう。93年10月にここで開催された94年ワールドカップ・アメリカ大会のアジア最終予選で、日本はワールドカップ初出場まであと数十秒のところまで迫りながら、ロスタイムにイラクに同点ゴールを許して掌中の「夢」をつかみそこねた。
それから15年。日本は98年にワールドカップ初出場を果たし、以後自国開催を含めて3大会連続出場してきている。それだけではない。女子を含むあらゆる年代、そしてクラブサッカーで、日本はアジアの「巨人」となり、敬意を払われる存在となった。「悲劇」をバネに、この15年間に日本サッカーが成し遂げた進歩と、その背景にある努力は、誇るに足るものだ。
だがアジア自体も15年前とは大きく様変わりしていることを忘れてはならない。15年ぶりに訪れたドーハも、建設ラッシュで街全体が活気にあふれ、前回とはまったく印象が違う。
カタールという国自体、あの「ドーハの悲劇」の時代とは政権が違う。95年に無血クーデターが起こり、当時のハリーファ首長(国王)を追い落としてハマド皇太子が元首となったのだ。石油や天然ガスに頼るばかりだった前首長に比べ、現首長は将来を見据えて観光産業に力を入れている。それがドーハの活気につながっている。
国が変わり、都市の雰囲気が変わるなかで、サッカーも変ぼうを遂げようとしている。現在のカタール代表チームの主力の半数は南米やアフリカ出身で、ここ数年の間にカタール国籍を獲得した選手たちだ。15年前には想像のつかなかった状況が生まれているのだ。
オセアニアサッカー連盟に属していたオーストラリアが06年にアジアの一員となり、日本、韓国、サウジアラビア、イランといった「アジアサッカーの巨人たち」の一角を脅かし始めている。カタールだけでなく、バーレーン、UAEといったアラビア半島勢も急速に力をつけている。
「盛者必衰」は平家物語だけの理(ことわり)ではない。心して「おごり」を廃し、高い志を持ち続けていくことの大切さを、15年ぶりのドーハで強く思った。
ドーハ展望
(2008年11月19日)
1993年から東京新聞夕刊で週1回掲載しているサッカーコラムです。試合や選手のことだけではなく、サッカーというものを取り巻く社会や文化など、あらゆる事柄を題材に取り上げています。このサイトでは連載第1回から全ての記事をアーカイブ化して公開しています。最新の記事は水曜日の東京新聞夕刊をご覧ください。