
サッカーの話をしよう
No.732 コンビネーションサッカーの源流
「コンビネーション・サッカーの源流は、ひとりのイングランド人にある」
昨年10月に行われたドイツサッカー協会の国際コーチ会議で、フォルカー・フィンケはこう説明した。
今季、Jリーグで最も楽しみなのが浦和レッズだ。チーム全員が動き、パスをつないで攻め崩す「コンビネーション・サッカー」の提唱者であり、そのサッカーでブンデスリーガに旋風を巻き起こしたフィンケが新監督に就任したからだ。
「ひとりのイングランド人」とは、ジミー・ホーガンという名のコーチである。20世紀初頭にボルトンやフラムなどで活躍し、30代はじめにボルトンの遠征でオランダに行ったときに「ここでプレーの仕方を教えよう」と思い立ち、さっそく移り住んだ。
だが彼が教えようとしたのはロングボールをけり合うイングランド・スタイルのサッカーではなかった。フラム時代にスコットランド出身の選手たちが見せていた集団でパスをつなぐサッカーだった。彼自身、小柄ながら技術に優れた選手で、このスタイルに出合って初めてサッカーの面白さを知った思いがしたからだ。
運命に流され、彼はヨーロッパ大陸のさまざまな国で指導に当たることになる。1910年代にはハンガリーでMTKクラブを9連覇に導き、30年代にはオーストリアで「驚異のチーム」と呼ばれた代表を生み出した。
だが、いくつかのクラブで指揮をとった母国イングランドでは大きな成功はできなかった。ボールを使い、技術を磨き、動き方を習得する、今日では当たり前の練習が、当時のイングランドの選手たちには受け入れられなかったからだ。
53年11月にハンガリーがロンドンに遠征し、ヨーロッパ大陸のチームとして初めて、イングランドの地でイングランドに勝った。勝っただけではない。圧倒的なパスワークで試合を支配し、6-3で大勝したのだ。
「きょうのプレーのすべてを教えてくれたのはホーガンだった」
試合後、ハンガリー協会の会長はこう語ってイングランドの人びとを驚かせた。ホーガンがMTKを指導したのは30年以上も前のことだったが、ハンガリーの人びとは、ハンガリーのサッカーはこのチームから始まったと考えていた。ヨーロッパ大陸の各地で、ホーガンは「サッカーの父」と慕われている。
それからさらに半世紀。ホーガンの信念はいま、日本にも伝えられようとしている。
(2009年2月4日)
