サッカーの話をしよう
No.739 志はあるか
「志(こころざし)」について考えている。
サッカーの場でこの言葉を聞いたのは、98年から02年まで日本代表監督を務めたフィリップ・トルシエの口からだった。
ホスト国として予選なしで出場できる02年ワールドカップ。前大会で初出場を果たしたばかり、それも3戦全敗だった日本を、少なくとも1次リーグ突破に導かなければならない。その心構えとして選手たちに求めたのが「志」だった。
「目の前の相手に勝つために全力を注ぎつつ、高い目標を忘れずに自らを奮い立たせ、駆り立てていく―」
「志があるなら、こんな勝利で満足するな」と、彼はたびたび選手たちに語った。
さて、先週土曜にバーレーンを下し、岡田武史監督率いる日本代表のワールドカップ予選突破も見えてきたが、日本代表のプレーから「志」は感じられただろうか。岡田監督は「目標はワールドカップでベスト4」と語っているが、それは本気なのだろうか。
06年ドイツ大会、日本は世界で最も早く予選突破を果たしたが、ドイツの舞台では1分け2敗と、これも早ばやと敗退が決まってファンを落胆させた。明白になったのは、ワールドカップ出場自体はもう「志」足りえないということだった。その先に行かなければ、少なくとも、そこで誇るに足る内容の試合ができなければ、また落胆だけになる。
ことしの3月に日本中を夢中にさせたのはサッカーの日本代表ではなく、野球のWBCに出場した「侍ジャパン」だった。前回のチャンピオンなのに、彼らはけっして「タイトルを守る」とは言わなかった。「もういちど優勝して、今度こそ日本の野球の力を世界に認めさせたい」と、異口同音に語った。このチームには「志」があった。それに一丸で取り組んだから、大きな感銘を生んだ。
イビチャ・オシム前日本代表監督は、よく「野心をもたなければならない」と話した。野心は「志」と同じ。トルシエもオシムも「アンビション」という言葉を使うのだが、トルシエの通訳に当たった臼井久代さんが、トルシエの話しぶりから、あえて「志」という古めかしい日本語を選んであてたのだ。
ワールドカップ予選は何よりも結果を求められる試合かもしれない。しかしだからこそそこにぶれない「志」があれば、大きな成長の糧になる。予選も残り3試合。そこで日本代表の「志」の高さを感じ取りたいと思う。
(2009年4月1日)
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