サッカーの話をしよう
No.743 ボスニア・ヘルツェゴビナの躍進
「ともに私と縁のある日本とボスニア・ヘルツェゴビナが、南アフリカで対戦することを期待しています」
昨年1月31日、病魔に打ち勝ったイビチャ・オシムさん(前日本代表監督)が初めて試合会場に姿を現したのが、東京・国立競技場でのボスニア・ヘルツェゴビナ戦。試合前にオシムさんからのメッセージが流された。
その日、西ヨーロッパのクラブに所属する選手を連れてくることができなかったボスニア代表は力を出せず、日本代表監督に就任したばかりの岡田武史監督に初勝利を許す。しかしそれから1年半もたたないうちにボスニアはワールドカップのヨーロッパ予選で最も「熱い」チームとなり、ボスニア出身のオシムさんの言葉も夢ではなくなりそうだ。
全日程の6割程度まで進んだヨーロッパ予選。5組にはいったボスニアは、10試合中6試合を終えて4勝2敗、勝ち点12で全勝の首位スペインに次いで2位を占めている。スペインに追いつくのは難しいかもしれないが、2位を確保してプレーオフに出場するのは十分可能な位置だ。
3月末と4月はじめに行われた強豪ベルギーとの連戦を、ボスニアはアウェーで4-2、ホームで2-1と連勝した。残り4試合のヤマは、9月9日に予定されているトルコとのホームゲームだ。
ベルギー戦2試合で3得点を挙げ、予選通算得点を7に伸ばした新エース・ジェコ(23)の評価は上がる一方。日本代表のMF長谷部誠、FW大久保嘉人と同じドイツのヴォルフスブルク所属。192センチの長身ながら、ヘディングだけでなく右足も左足も自在に操るテクニシャンだ。
旧ユーゴスラビアから92年に独立したボスニア・ヘルツェゴビナだったが、複雑な民族構成が原因で独立直後から激しい内戦が続き、ようやく95年末に平和が訪れた。死者20万人、難民200万人を出すという悲惨きわまりない戦争だった。
昨年7月、クロアチア人のブラゼビッチがボスニア代表監督に就任。懸念もあったが、予選初戦でスペインにアウェーで0-1と健闘し、2戦目には地元ファンの前でエストニアを7-0で下して一挙に信頼を深めた。
いまも複雑な民族構成は変わらず、統一感に乏しいボスニア。国のシンボルである白いユリから「リリーズ」と呼ばれるサッカー代表の躍進は、民族を超えて人びとに幸福感と高揚感を与えている。
(2009年5月13日)
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