サッカーの話をしよう
No.746 選手とファンの距離
UEFAチャンピオンズリーグを制覇して欧州の王座についたFCバルセロナ(スペイン)のテクニカルディレクターとしてチーム強化の全権を握るアイトール・ベギリスタインは、時折、10年も前の幸福感に満ちた時代を思い起こす。
10年前、彼は日本の浦和レッズの選手だった。浦和にとって幸福な時代ではなかった。実際、浦和での彼の最後の試合は99年11月27日、J2への降格が決まった広島戦だった。この試合、ベギリスタインは後半9分に交代を命じられている。
しかし97年から約2年半の日本での生活を思い出すと、彼は自然に顔がほころぶのを覚える。都内に住んでいた彼は、毎日JRの埼京線と京浜東北線を乗り継いで浦和の練習グラウンドに通った。
彼はバルセロナの黄金時代を支えたスーパースターのひとりだった。もちろん「電車通勤」など生まれて初めてのこと。読書に励む人、居眠りをする人など、車内の人びとを見ていると、飽きることを知らなかった。そして乗り継ぎの赤羽駅で「立ち食いそば」を食べるのは、何よりの楽しみだったという。
新型インフルエンザの影響で、Jリーグ各クラブの練習場では選手とファンが接する場を制限するようになった。地域立脚を前提とするJリーグではファンとの交流を推進しているが、この先どうなるのか誰にもわからない。欧州のビッグクラブのように、選手とファンの距離がどんどん離れてしまうことになるかもしれない。
選手が安心して競技に打ち込める環境は何より大事だ。選手のプライバシーを守る必要性も小さくない。しかしそれでも、選手が地域のなかで自然に生活し、ファンに近い存在であることの意義を考えると、「垣根」はできうる限りないのが望ましい。とくに少年少女たちとの触れ合いは、サッカーの未来に大きな意味がある。
1930年代のオーストリアにマチアス・シンドラーという選手がいた。この時代の欧州大陸では最高の名手だっただろう。FKオーストリアというクラブのスターFWだった彼は、試合の日、ファンと同じ路面電車を使ってスタジアムに向かったという。
「神話時代」のことかもしれない。しかしこの当時のサッカーファンは、チームや選手たちに対して、より身近で、より親密な愛情をもつことができていたに違いない。
「選手とファンの距離」は、これからどうなるのだろうか。
(2009年6月3日)
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