サッカーの話をしよう
No.767 南アフリカが待っている
11月14日(土)に予定されている日本代表と南アフリカ代表の親善試合会場は、二転三転の末、ヨハネスブルグ南郊の「ランドスタジアム」(3万人収容)で開催されることになったようだ。
当初はダーバンで対戦する予定だった。来年のワールドカップに向け建設した7万人のスタジアムの「こけら落とし」という晴れやかな位置づけだった。だが工事が間に合わず会場が変更された。
会場だけではない。南アフリカ代表も10月にサンタナ監督を解任し、昨年途中まで指揮をとっていた同じブラジル人のパレイラ監督が復帰したばかり。6月以来11戦して2勝1分け8敗という不振が解任の原因だった。
だがこうしたことで「来年のワールドカップは大丈夫か」と不安視するのは早計だ。南アフリカの人びとは立派な大会にしようと心待ちにし、「バファナ・バファナ(少年たち)」と呼ぶ代表チームにも大きな信頼を寄せているからだ。
南アフリカのサッカーの始まりは1860年代。ケープタウンの英国人たちがプレーしたのがアフリカ大陸最初のサッカーの試合と言われる。1892年には早くも協会(FASA)が設立された。
だがそれは白人だけの組織。厳しい人種差別の時代、非白人はスタジアムにはいることさえ許されなかった。1958年、協会は国際サッカー連盟への加盟を認められたがアフリカ諸国からの高まる反人種差別運動に押され、61年には資格停止、そして76年には正式に除名となる。
アパルトヘイト(人種隔離)が終結した91年、新たな協会(SAFA)が設立され、人種にかかわらずサッカーを楽しめるようになった。南アフリカ代表は96年に地元で開催されたアフリカ選手権で優勝を飾り、国民を歓喜の渦に巻き込んだ。
サッカーのほかラグビーやクリケットの人気が高い南アフリカだが、国民の7割を占める黒人が主にプレーするのはサッカー。それだけにワールドカップは人種間の壁を壊す役割を期待されている。
「地球上の人びとを結びつけるものがひとつだけあるとしたら、それはサッカーだ」
04年に10年ワールドカップの南アフリカ開催が決まったとき、招致委員会のジョーダン会長はこう語った。
派手に飾りつけたヘルメット姿のサポーター。耳を覆いたくなる「ブブゼラ(応援ホーン)」。カラフルで騒がしい南アフリカのサッカーが、日本代表を待っている。
(2009年11月4日)
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