サッカーの話をしよう
No.770 ヨハネスブルク サッカーシティスタジアム
「そう、このスタジアムは、新しい南アフリカの象徴として、人びとの大きな誇りになるだろう」
完成を目前に最後の仕上げにはいっているスタジアムを見上げながらそう語ると、会場総責任者のソンゲゾ・ナヨさんは少しはにかんだ表情を浮かべた。
先々週に続き、また南アフリカにきている。大会の3会場などの取材のためだ。その初日に、ワールドカップ2010年南アフリカ大会で開幕戦と決勝戦を含む8試合の舞台となるヨハネスブルクの「サッカーシティ」スタジアムを訪ねた。
ヨハネスブルクの南の郊外、金鉱を掘るときに出た土でできた巨大なテーブル形の丘のふもとに、アフリカの伝統的な壺を模した奇抜なデザインのスタジアムが建っていた。
1987年に建設された「FNBスタジアム」をほとんど壊し、同じ場所に建てなおした。8万立方メートルのコンクリートと1万7000トンもの鉄鋼を使い、4年の歳月をかけた大工事だった。
わずか20年たらずの「生命」だったが、7万人収容のFNBスタジアムは南アフリカの人びとにとって忘れられない場所だ。90年、アパルトヘイト(人種隔離)の撤廃で釈放されたネルソン・マンデラが大衆の熱狂的な歓迎を受けたのが、まさにここだった。そして96年にはアフリカ・ネーションズカップ決勝の舞台となり、国際社会に復帰して間もない南アフリカ代表が優勝を飾って大きな喜びをもたらした。
その「歴史遺産」とも呼ぶべきスタジアムをほとんど新築と言っていいほど建て直すに当たって、所有するヨハネスブルク市は「南アフリカの伝統と未来を象徴するデザインにしよう」と計画した。
大半がオレンジ色の椅子で覆われた観客席に、10本の黒いラインが描かれている。1本はドイツのベルリンを意味し、このワールドカップがどこからやってきたかを示す。9本は、南アフリカの残り9会場だ。ワールドカップが6月11日にこのサッカーシティで始まって9会場に出ていき、7月11日の決勝戦に再び戻ってくることを意味しているという。
「大きいだけではない。このスタジアムには、通信手段など世界で最新鋭のテクノロジーが詰まっている」とナヨさん。「屋根など一部の建築資材はドイツやイタリアから輸入したが、建設はすべて南アフリカの手でやったんだ」
その自信と誇りが、新しい南アフリカをつくる原動力になる。
(2009年11月25日)
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