サッカーの話をしよう

No.778 アンリが失ったもの

 ティエリ・アンリ(32)。フランス代表主将が、ワールドカップ・ヨーロッパ予選のアイルランドとのプレーオフにおいて手でボールをコントロールして決定的な得点にアシストしたことは昨年11月に大きな話題となった。
 2試合180分間を終わって通算スコアは1-1。ワールドカップへの出場権は、30分間の延長戦にかけられることになった。
 その延長前半終了直前、フランスが中盤でFKを得た。ゴール前に入れられたボールをいちばん左外から走り込んだアンリが左手で止め、すかさず中央に送ると、DFギャラスが頭でゴールに押し込んだ。これで2戦合計2-1となり、そのまま押し切ったフランスがワールドカップ出場権を獲得した。
 当然、アイルランドの選手たちは猛烈に抗議した。しかし主審も副審も第4審判も、アンリが何をしたのか確認することはできず、ゴールを認めた。
 「ボールは僕の腕に当たって前に落ちた。僕はプレーを続け、主審は得点を認めた」
 試合後、アンリはハンドがあったのは確かだが、それが反則かどうか決めるのは主審の仕事だと言い放った。
 大きな論争になった。欧州で試験的に導入されている「ゴール裏副審」がいれば反則を確認できたはず...。ビデオを確認して最終的な判断をすれば間違いは起こらなかった...。
 だがどんなに審判を増やしてもテクノロジーを導入しても、最終的に判断するのが人間である以上、誤審がゼロになることはありえない。私は、選手自身がもっと正直になるしかないと考えている。
 思いがけなく飛んできたボールがただ手に当たっただけでなく、反射的にそれをけりやすいところに落としたことは、アンリ自身が承知し、ギャラスにも見えていたはずだ。主審と副審が協議している間にどちらかが正直に話していれば、こんな大ごとにはならなかったはずだ。
 世界中からの猛烈な抗議に合い、アンリは代表からの引退まで考えたという。国際サッカー連盟(FIFA)がゴールと試合結果を認め、アンリに罰を課すこともなかったために、アンリは自らの過ちをつぐなうことさえできない。
 日本には「人の噂も七十五日」という言葉がある。しかしあの事件から2カ月半を経過してもまだ騒ぎは収まらない。結局のところ、アンリもフランス代表も、ワールドカップ出場と引き換えに大きなものを失ったのではないだろうか。
 
(2010年2月3日)
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1993年から東京新聞夕刊で週1回掲載しているサッカーコラムです。試合や選手のことだけではなく、サッカーというものを取り巻く社会や文化など、あらゆる事柄を題材に取り上げています。このサイトでは連載第1回から全ての記事をアーカイブ化して公開しています。最新の記事は水曜日の東京新聞夕刊をご覧ください。

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