サッカーの話をしよう
No.785 読売・ヴェルディの40年間
FC東京と東京ヴェルディの初対戦は1970年5月?
日本サッカー史をこれまでにない角度から俯瞰できる画期的な本が完成した。『クラブサッカーの始祖鳥 読売クラブ~ヴェルディの40年』。昨年クラブ創設40周年を迎えた東京ヴェルディの記念誌である。
ヴェルディの前身は読売サッカークラブ。企業スポーツが全盛期を迎えようとしていた1969年に、専用の施設をもった本格的なスポーツクラブとして誕生した。近い将来のプロ化を見据え、読売新聞社の正力松太郎社主の「鶴の一声」で動きだしたプロジェクトだったという。
東京社会人リーグの2部からスタートし、4年目の72年には初年度の日本サッカーリーグ2部にと、とんとん拍子で昇格。この年にブラジルから日系二世のジョージ・ヨナシロ(与那城)を加え、翌73年にはオランダ人のバルコム監督を迎えて独特なサッカーを形づくっていく。
「クラブ」の特色を最も強く示したのは選手育成だった。読売クラブはその初期から少年チームやユースチームをもち、指導に力を注いできた。やがてそのなかから戸塚哲也、都並敏史といった日本代表選手が生まれ、チームをけん引していくことになる。
選手として活躍できなくても、指導者としてこつこつと仕事をしている人もいる。メディアの世界で活躍している人もいる。昨年、日本テレビが経営から撤退。クラブを引き継いだのは、ユース出身の崔暢亮氏(現会長)を中心とするグループだった。
記念誌のページを追っていくと、「クラブ」とは「人づくり」の場であり、このクラブが実に多くの人材を育ててきたことが実感できる。その人材こそクラブの宝であり、「再生」のための最大の力に違いない。
300ページを超す本の約3分の1は、編集作業の中心となった牛木素吉郎さんによると「最も苦労した」という記録集。そのなかに、70年の東京社会人リーグ1部の第2節に「東京ガス」と対戦して3-5で敗れたという記録がある。「東京ガス」とは、もちろん現在のF東京。この試合こそ、今日の「東京ダービー」の第1戦ということになる。
当時は、まったくの「異端」だったクラブサッカー。その視点から編まれた1冊は、日本のサッカー史に新たな側面から投げかけられた光といえる。
(2010年4月7日)
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