サッカーの話をしよう
No.813 正義がなかった2022年立候補
「日本は8年前に開催したばかりだろう」
今夏、ある南米サッカー連盟の役員からそう言われて、自分自身のなかにわだかまっていた気持ちが一挙に溶解する思いがした。
2018年と22年のワールドカップ開催国決定が目前となった。きょう12月1日、スイスのチューリヒにある国際サッカー連盟(FIFA)本部で22年大会候補の5カ国の最終プレゼンテーションが行われ、続いて明日2日には18年大会の4候補が続く。FIFA理事22人による投票を経て開催国が発表されるのは、現地時間午後4時(日本時間3日午前0時)の予定だ。
従来は大会の6年前に決定していた開催国。しかし準備期間が足りないという指摘を受け、昨年1月、FIFAはことし12月に18年大会と22年大会の開催国を決めると発表、募集を開始した。1カ月間で11の立候補が集まり、そこからメキシコとインドネシアが脱落して9に絞られた。
さらに「18年は欧州で」という方向性が固まり、両大会に立候補していたいくつかの国が22年大会に絞っての立候補となった。最終候補は以下のとおりである(各大会プレゼンテーション順)。
18年大会。ベルギーとオランダ(共同開催)、スペインとポルトガル(共同開催)、イングランド、ロシア。
22年大会。オーストラリア、韓国、カタール、アメリカ、日本。
日本サッカー協会は30年代のワールドカップ単独開催を目標としていたが、犬飼元昭会長(当時)の意向で立候補を決めた。だが私には最初から強い違和感があった。その正体がはっきりしたのは、冒頭の南米連盟役員の言葉だった。
ワールドカップは人類の宝だ。優勝することはもちろん、自国で開催することも世界中の人びとにとって一生の夢に属する。ことし南アフリカが多くの危惧(きぐ)を払拭して成功裏に大会を開催したことで、さらに多くの国が勇気づけられ、「一生の夢」を実現しようという動きが始まっている。
できうる限りいろいろな国で開催するのがワールドカップの理念にかなっている。そう考えれば、02年に開催した日本が22年もというのは、あまりに他とのバランスが悪い。
私たちは「20年後」と思う。しかし世界の人びとは「8年前に開催したばかり」と感じ、眉をひそめている。
結果はわからない。だが今回の立候補には、最初から「正義」が少なかったように思えてならない。
(2010年12月1日)
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