サッカーの話をしよう
No.815 2010年、本田と香川の年
2010年も終わろうとしている。1年を振り返ると、ワールドカップ南アフリカ大会での日本の大躍進がまず浮かんでくる。だがそれ以上に、「本田と香川」に象徴される年だったのではないか。
昨年のいまごろ、本田圭佑と香川真司は現在の状況からほど遠いところにいた。
ヨーロッパでもトップとは言えないオランダの下位クラブ・フェンロに所属していた本田は、クラブでは王様だったが、日本代表ではまだ新参者だった。中心選手である中村俊輔と同じポジションだったからだ。
昨年末、本田はロシア・リーグのCSKAモスクワへの移籍を決意する。日本人がまだプレーしたことのないリーグ。しかしこのチームはUEFAチャンピオンズリーグで勝ち残っていた。彼はこのチャンスを生かし、見事なFKを決めてベスト8に導いた。
そして新しく与えられた「トップ下」というポジションで生き生きと動いたことが、日本代表の岡田武史監督に「本田を中心とした攻撃プラン」への変更を決意させた。
一方、香川の09年は1シーズンに51試合もこなすJ2での戦いだった。香川はJ2から唯一日本代表の試合にも参加しながら44試合に出場し、得点王となる27得点を記録して所属のセレッソ大阪をJ1昇格に導いた。
だが香川も日本代表でポジションを得ていたわけではなかった。08年に19歳でデビューし、岡田監督から期待を寄せられていたが、C大阪でのはつらつとしたプレーが日本代表でも発揮されることはなかったからだ。
本田が2得点を挙げて日本代表の主役となったワールドカップ、香川はメンバーにさえはいれなかった。南アフリカには行ったものの、言ってみれば「練習要員」だった。
香川を変えたのは、本田と同様、挑戦する気持ちだった。ワールドカップ後、ドイツの名門ボルシア・ドルトムントに移籍。すると見違えるように積極的なプレーが出始め、次々と得点を挙げてチームの勝利に貢献、首位独走の立役者のひとりとなったのだ。
86年6月13日生まれ24歳の本田。89年3月17日生まれ21歳の香川。若いアタッカーふたりが相次いで台頭し、世界のトップクラスに通じるプレーで日本代表をぐいぐいとけん引し始めた年―。2014年ワールドカップ・ブラジル大会を迎えたとき、私たちは、2010年をそんな年として思い起こすのではないだろうか。
(2010年12月15日)
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