サッカーの話をしよう
No.822 脆弱なチーム一丸
「チーム一丸」について考えている。
1月にカタールで行われたアジアカップでの日本の優勝は、本当に感動的だった。次々と現出する困難にチーム一丸となって立ち向かったことが、4回目の優勝につながった。
昨年のワールドカップも、やはり、ベスト16という結果よりチームがひとつになって戦う姿が感動を呼んだ。
背景には監督たちの細かな心遣いがある。ワールドカップ時の岡田武史監督は、大ベテランの川口能活を「第3GK」と位置付けて選出、彼の存在がチームを結び付ける重要なキーとなった。ザッケローニ監督は、出場していない選手とこまめに話し、励ました。
だがその一方、「チーム一丸」は「状況の産物」でもあった。
ワールドカップでは親善試合4連敗の危機感が選手間に「なりふり構わず勝ちたい」という気持ちを生んだ。アジアカップではGK川島永嗣とDF吉田麻也の退場、MF松井大輔や香川真司の負傷離脱という緊急事態が一体感の元となった。
もし状況が別だったらどうだっただろうか―。ワールドカップ前に好成績だったら、選手たちはあのようにエゴを捨てられただろうか。退場などがなかったら、アジアカップでベンチの選手たちは決勝点の瞬間にあれほど狂喜しただろうか。
「チーム一丸」が日本代表の「伝統」と言っていいほど根付いたものとなってほしい。しかし同時に、その足元にまだ脆弱(ぜいじゃく)なものがあるのを感じざるをえない。
「サッカーがチームゲームであることを、選手たちは見事に証明してくれた」
サッカーがチームゲームであることなど誰でも知っている。だが本当に理解している人は多くはない。デンマーク戦後の岡田監督の言葉は、その違いを雄弁に物語っている。
ファンの話ではない。日本サッカー協会は「世界に通じる個」を育てることを強調するあまりエリート教育に奔走し、少年少女の指導者たちまでがその影響を受けている。子どものころに本当のチームゲームの喜びを体験できなかった者が、本物のチームプレーヤーになれるだろうか。
スター主義、ヒーロー主義一色のスポーツメディアのあり方も、それを助長する。
特殊な状況下だけで出現する「チーム一丸」では困る。真の伝統に、そして真の力にするために、サッカーに取り組むすべての人が「チームゲーム」というものを一から考えてみる必要がある。
(2011年2月9日)
1993年から東京新聞夕刊で週1回掲載しているサッカーコラムです。試合や選手のことだけではなく、サッカーというものを取り巻く社会や文化など、あらゆる事柄を題材に取り上げています。このサイトでは連載第1回から全ての記事をアーカイブ化して公開しています。最新の記事は水曜日の東京新聞夕刊をご覧ください。