サッカーの話をしよう
No.823 アフリカサッカーのリーダー、エジプト
1月のチュニジアに続き、2月11日にはエジプトで国民の力によって独裁政権が倒された。五千年の歴史をもつピラミッドとスフィンクスの国エジプト。それはまた、アフリカ大陸で最も歴史のあるサッカー国でもある。
19世紀末にイギリスの保護国になり、サッカーが導入されたエジプト。サッカー協会誕生は日本と同じ1921年だが、2年後には早くも国際サッカー連盟(FIFA)への加盟を認められている。アジア・アフリカ地域からの初の加盟国だった。34年には第2回ワールドカップ・イタリア大会に、やはりアジア・アフリカ地域から初めて出場している。
アフリカサッカー連盟(CAF)設立をリードしたのもエジプトだった。1956年の6月にポルトガルのリスボンで行われたFIFA総会に集まったアフリカからの加盟諸国に、連盟の設立を呼びかけたのだ。といってもアフリカの「独立ラッシュ」の1960年を前にFIFA加盟国はわずか4つ。エジプトのほか、スーダン、エチオピア、そして南アフリカだけだった。
翌57年2月、CAFは第1回アフリカネーションズカップを開催する。会場はスーダンの首都ハルツーム。エジプトは、前年からイスラエル、イギリス、フランスを相手にした「スエズ戦争」の渦中にあり、自国開催は無理だったのだ。
「白人だけの代表か、そうでなければ黒人だけの代表で行く」
「人種混合の代表チームでの参加」を求めるCAFに対し、南アフリカは断固としたアパルトヘイト(人種隔離)の方針を貫き、結局参加を拒否される。その結果、出場はわずか3チームとなった。
大会はノックアウト方式。南アフリカの不参加により、エチオピアは自動的に決勝に進出することになった。
ただひとつの準決勝で、エジプトは地元スーダンに2-1でなんとか競り勝った。決勝戦は快勝だった。準決勝で決勝点を決めたエースのモハメド・アディバが次々と4得点を挙げ、エジプトは4-0で勝って「初代アフリカ・チャンピオン」となったのだ。
以後、エジプトは常にアフリカの強国として君臨し、ネーションズカップで最多7回の優勝を飾っている。その最初の優勝を決めたのが、54年前の2月16日のことだった。
民主化へ大きく踏み出し、新しい歴史を歩み始めたエジプト。そのサッカーが、これからもアフリカのリーダーであり続けることを祈りたい。
(2011年2月16日)
1993年から東京新聞夕刊で週1回掲載しているサッカーコラムです。試合や選手のことだけではなく、サッカーというものを取り巻く社会や文化など、あらゆる事柄を題材に取り上げています。このサイトでは連載第1回から全ての記事をアーカイブ化して公開しています。最新の記事は水曜日の東京新聞夕刊をご覧ください。