サッカーの話をしよう
No.825 19年前の出来事(マクドナルド)
3月の声とともに、Jリーグの新しいシーズンが始まる。
新シーズン―。新しいチーム、新しいプレーヤー、新しい仲間。Jリーグの「新しい仲間」に日本マクドナルドが加わったと聞いたとき、リーグ事務局でスタジアムとホームタウンを担当する佐藤仁司さん(53)の脳裏に、19年前、92年2月のことがよみがえった。
当時、佐藤さんは日本サッカーリーグに所属する三菱自動車のマネジャーだった。3月末の日本リーグ終了とともに、三菱自動車サッカー部はプロサッカークラブ「浦和レッズ」へと生まれ変わることになっていた。
さまざまないきさつから浦和でプロ化することは決まったが、浦和あるいは埼玉県と三菱の間に何らかのつながりがあったわけではない。部室のある東京の三田で仕事が終わると、佐藤さんは毎日のように浦和まで車を走らせ、「新しい家」の様子を頭に叩き込んだ。横浜の自宅に帰るのは、深夜になった。
その夜、佐藤さんは頭の痛い問題を抱えていた。4月4日にタイのチャンピオンクラブを迎え、浦和レッズとして浦和で最初の親善試合を行うことが決まった。しかしポスターやチラシをどこに置いてもらえるのか、途方に暮れていたのだ。
そのとき、マクドナルドの赤い看板が目にはいった。ビルの1階にある小さな店。「アルバイト募集」の横断幕の下に電話番号が書かれていた。魅入られるようにそれをメモすると、車を止め、近くの公衆電話ボックスに飛び込んだ。30分後の面会の約束が取れた。
Jリーグとは何か、浦和にそのひとつのクラブができることが何を意味するのか、自分たちの夢...。早口で、夢中に語った。そして試合のチラシを置かせてほしいと頭を下げた。
「わかりました」
佐藤さんの話が終わると、それまであきれたような表情で聞いていた若い店長が短く言った。レッズがホームタウン浦和に第一歩を記した瞬間だった。
1年半後の夏、開幕したJリーグでレッズが連戦連敗を続けていたとき、そのマクドナルド店の前を通ると、横断幕はアルバイト募集から「レッズ勝ったらコーラ10円」に変わっていた。佐藤さんは思わず下を向いた。
2004年、ようやく訪れたJリーグステージ優勝。選手を乗せたオープンバスが、黒山の人をかき分けるように市内をパレードした。そのバスがマクドナルド店の前を通ったとき、佐藤さんは、やっとあのときの恩返しができたと感じた。
(2011年3月2日)
1993年から東京新聞夕刊で週1回掲載しているサッカーコラムです。試合や選手のことだけではなく、サッカーというものを取り巻く社会や文化など、あらゆる事柄を題材に取り上げています。このサイトでは連載第1回から全ての記事をアーカイブ化して公開しています。最新の記事は水曜日の東京新聞夕刊をご覧ください。