サッカーの話をしよう
No.836 アラ・フバイルの悲劇
バーレーン代表FWアラ・フバイル(28)が同じく代表MFの兄モハメド(29)とともに逮捕されたのは、4月5日のことだった。以来2カ月、彼らはいまも留置されたままだ。
04年に中国で行われたアジアカップの大会中に、バーレーン代表と同じ飛行機に乗り合わせたことがある。日本との準決勝で延長戦に突入する大熱戦の末3-4で敗れた翌日とは思えないほど、彼らは若く、元気で陽気だった。まるで修学旅行中の高校生。搭乗待ちのターミナルでは、隠れてトイレでタバコを吸う選手までいた。
それまで「弱小国」のひとつだったバーレーンだが、この大会で4位になったことで一躍アジアの強豪の仲間入りをした。06年、08年のワールドカップ予選では他大陸との最終プレーオフに進出、ともに出場権獲得まであと一歩まで迫った。
78年に初対戦して以来26年ぶりの対戦が04年アジアカップ。以後8回対戦して日本の6勝2敗だが、大半が1点差の試合。10年ワールドカップ予選では、3次予選、最終予選とたて続けに対戦、3次予選のアウェー戦(08年3月)では0-1の苦杯を喫している。
この試合で決勝点を決めたのがFWアラ・フバイル。同国代表歴代2位の24得点の記録をもつアラは間違いなく国民的英雄だった。
兄弟の運命が激変したのはことしにはいってから。昨年12月に始まったチュニジアの民主化運動が1月にはいって過熱し、ついに独裁政権が倒された。その熱気がエジプトに飛び火し、北アフリカから中東まで、まるでドミノ倒しのように民主化運動が起こった。
ペルシャ湾の島国バーレーンも例外ではなかった。71年独立以来のハリーファ王家の政権に反対するデモが2月14日に始まり、急速に激化。4月5日、救急救命士の資格をもつアラ・フバイルは、政府の武力鎮圧で負傷したデモ参加者の手当てに現場で当たっていたが、デモに参加していた兄モハメドとともに夜遅く逮捕された。テレビでの過激な反政府発言が、国民的英雄逮捕の引き金となった。
フバイル兄弟だけではない。バーレーン代表の長身DFモハメド・アドナン(28)、右サイドバックのアッバス・アヤド(24)も獄中にいる。今回の騒乱のなか逮捕されたスポーツ選手や役員は、150人にものぼるという。
アジアのライバル国の代表選手が政治的問題で競技生命を脅かされている。私たちは、事態を見守るしかないのだろうか。
(2011年6月8日)
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