サッカーの話をしよう
No.840 女忍者のステップワーク
可憐な「なでしこ」と言うより「女忍者」だった。
ドイツで開催されている女子ワールドカップ。1次リーグのメキシコ戦(7月1日)で見せたMF大野忍(INAC神戸レオネッサ所属)のゴールだ。
MF澤穂希の豪快なヘディングで先制した直後の前半15分、大野はペナルティーエリアの右手前でFW永里優季からパスを受けた。
正面にはメキシコの大型DFガルシアメンデスが立ちふさがる。右からはコラル、左からはガルシア。わずか2㍍の距離で大野を包み込むようにしたメキシコの3人は、「捕まえた」と感じたに違いない。だがその瞬間、大野は「消えた」。
右足のインサイドで左からきたボールを止めた大野は、間髪を置かずその足のつま先に近い外側でボールに触れ、軽く転がして右前に出る。そしてガルシアメンデスの背後にすり抜けると、思い切り右足を振り抜いてゴール右に決めたのだ。
メキシコ戦では、主将の澤がハットトリックの大活躍、しかも男女を通じて日本代表の最多得点記録をつくったことで大きく注目された。だがこの試合で私が最も驚いたのは、2点目を決めた大野のマジックそのもののステップワークだった。
昨年のU-17女子ワールドカップ準決勝北朝鮮戦でのFW横山久美の4人抜きでの決勝点は、男子を含めた世界年間最優秀ゴール賞の候補にはいった。今回の大野のゴールはそれに勝るとも劣らない個人技だ。
通常なら右足で止めた後、左足でステップを踏み、それから右に体重を移しながら右前にボールを押し出す。ところが大野は左足に体重が乗るか乗らないかのタイミングで右足で再度ボールに触れ、右前に軽く跳びながら体を進めた。その間、体は完全にリラックスし、余分な力はどこにもかかっていなかった。こんな身のこなしは見たことがない。
近年の日本サッカーの特色はパスワークの良さ。しかしパスに頼るあまり、単独勝負を避けるという看過できない傾向も見える。そのなかで、大野の日本人ならではの身のこなしとステップワークは現在の壁を突き破る大きなヒントになる。
ただし身のこなし以上に大事なものを忘れてはならない。「1対3」でもひるまず勝負に挑んだ大野の積極果敢な姿勢だ。
「あそこでボールを受けたら仕掛けようと思っていた」(大野)
そのスピリットこそ、手本とすべきものなのかもしれない。
(2011年7月6日)
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