サッカーの話をしよう
No.846 男女平等を守れ
先月からずっと「女子サッカーの話をしよう」状態だったが、この際、もう1テーマだけ書いておきたい。男女平等の話だ。
サッカーは、ずっと「男のスポーツ」と考えられてきた。もう27年間も女子サッカーチームの監督をしている私自身、実際に女子の試合を見るまでは女性には向かない競技と思っていたのだ。
1960年代に日本サッカー界の「長老」と呼ばれる人びとの間で「女子サッカー推奨論」が叫ばれたことがあった。だがそれは男子サッカーの普及のためだった。「女性はやがて母親になる。母親がサッカー好きなら息子もサッカーをするだろう」という論理だ。
笑ってはいけない。なでしこジャパンの快挙を見てなお、そういうことを言う人びとが絶えないのである。
サッカーに夢中になるのは、サッカーが楽しいからだ。その楽しさは、男でも女でも変わりはない。
ところが現在の日本では、サッカーが好きになった少女たちがその思いを実現できる可能性は実に小さい。小学生なら少女チームもあるし、男の子のチームにまざってプレーすることもできる。しかし「女子サッカー部」のある中学校などほとんどないからだ。
学校側からすれば、新しい運動部をつくるには顧問の先生だけでなくグラウンドも必要だ。広くない校庭を野球部とサッカー部とテニス部で使っている状況では、どう逆立ちしても女子サッカー部など無理―となる。
いまでは中体連主催の大会には女子選手も出場できることになっている。だが男女の体格差が顕著になる中学生年代でいっしょにプレーさせるのはけっして「平等」ではない。
男子サッカー部だけがあって女子サッカー部がない状態は、「サッカーを楽しむ」という点に関して男女平等が実現されていないことになる。義務教育の場である中学校で、日本国憲法第14条「法の下の平等」が守られていないのだ。
サッカーに限った話ではない。野球では、少女たちが夢をかなえるのはサッカー以上に困難なのではないか。
中学校に「女子サッカー部」や「女子野球部」をつくるのが簡単ではないのは理解できる。しかし「無理」で止めてしまうのではなく、なんとか少女たちの思いに応えようという努力や工夫を惜しまないでほしい。
サッカーでも野球でも、好きになった競技にかける夢には、男女の違いなどまったくないからだ。
(2011年8月17日)
1993年から東京新聞夕刊で週1回掲載しているサッカーコラムです。試合や選手のことだけではなく、サッカーというものを取り巻く社会や文化など、あらゆる事柄を題材に取り上げています。このサイトでは連載第1回から全ての記事をアーカイブ化して公開しています。最新の記事は水曜日の東京新聞夕刊をご覧ください。