サッカーの話をしよう
No.847 ジョージ・ムラドの悲劇
ワールドカップ予選では、いろいろと予測不能なことが起こる。
06年ドイツ大会の予選では、北朝鮮とのアウェーゲーム中立地でのバンコクで、しかも無観客で行われた。
そしてこんどは、9月2日にスタートする14年ブラジル大会のアジア3次予選で日本と同組だったシリアが失格になり、代わってタジキスタンが出場することになった。初戦のわずか2週間前、8月19日の決定だった。
シリアはタジキスタンとの2次予選2試合にFWジョージ・ムラド(28)を起用した。ホームの第1戦(7月23日)ではフル出場して先制点の活躍。5日後の第2戦では交代出場し、相手オウンゴールを誘って勝利に貢献した。ところがこのムラド、シリア代表の出場資格を完全には満たしていなかったのだ。
キリスト教徒であるシリア人の両親の下、82年9月18日、レバノンのベイルートで生まれる。幼いころに家族でスウェーデンに移住、長じてサッカー選手となる。
189センチ、88キロの恵まれた体。ヘディングも強いが足元のテクニックも高いムラドは、早くから「イブラヒモビッチ(現ACミラン)二世」と注目され、03年にはスウェーデンのU-21代表、05年にはA代表に選出された。この年の1月22日、ロサンゼルス(アメリカ)での韓国戦でデビュー、4日後のメキシコ戦にも出場した。
だがその後スウェーデン代表に選ばれることはなかった。ことしポルトガルからイランの強豪「メス・ケルマン」に移籍金なしで移籍した彼に、シリア協会が目をつけた。
依頼を受けたスウェーデン協会は、二重国籍をもつムラドがシリア代表としてプレーすることを承認。そして6月29日、イラクとの親善試合で、彼は両親の祖国の代表としてデビューを飾った。
従来、国際サッカー連盟(FIFA)は代表選手の国籍変更を認めなかったが、近年、二重国籍保持者に限りその規制を緩め、ムラドがシリア代表になるのは不可能ではなかった。だがそれには当該協会同士の合意だけでなくFIFAへの申請と許可が必要だった。2次予選に向け時間を惜しんだシリア協会はそれを怠ったのだ。
「金曜の夜、寝ていたときにシリア協会のサリア会長から電話を受けた。(シリアが失格になったと聞いて)その晩は一睡もできなかった」とショックを隠せないムラド。
「ウズベキスタン、北朝鮮、そして何より日本との対戦が楽しみだったのに...」と、唇をかんだ。
(2011年8月24日)
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