サッカーの話をしよう
No.848 なでしこジャパン誕生秘話
「いましかない」
04年4月、日本サッカー協会事務局の江川純子さんは、強くそう思った。
当時、代表チームに関する事務を担当する部署にいた江川さん。いろいろな文書を書くたびに「女子」とつけなければならないのを、女性として悔しく感じていた。
「日本代表」と言えば男子。女子代表は、「女子日本代表」と書かなければならない。オーストラリア協会が女子代表をごく自然に「マチルダス」と愛称で書いてくるのがうらやましかった。
そんなとき、女子日本代表が北朝鮮を破ってアテネ五輪の出場権を獲得。3万を超すファンが声援を送り、土曜日の夜に全国放送で16.3%の高視聴率を記録、大きな話題となった。「愛称をつけるならいましかない」と提案を出した。
「それはいい、ぜひやろう!」と賛同してくれたのが当時広報部長だった手島秀人さん(現理事)だった。手島さんが精力的に各方面を説得し、「公募」にこぎつけた。作業は広報部が中心になって受け持った。
その年の7月7日、七夕の日に「なでしこジャパン」の愛称を発表。1カ月後、アテネ・オリンピックの初戦で優勝候補の一角であるスウェーデン(前年の女子ワールドカップ準優勝)を1-0で下し、愛称も広く知られるようになった。
15年ほど前、会社員だった江川さんは、ある女子サッカーチームの練習を見た。社会人中心のチーム。自分のように30歳を過ぎても目を輝かせてボールを追っている姿が印象的だった。そして選手たちがとても楽しそうなので、「まぜてもらいたい」と思った。
サッカーどころか何もスポーツ経験がなかった江川さん。思い切り右足を振ったが、ボールはわずか5メートル先に落ちた。しかし2年間ほど定期的に練習に取り組むと、どうにか味方につながるようになった。その後サッカー協会に就職。週末にも仕事がはいり、残念ながらチームから離れざるをえなくなった。
「生活も子育ても大事、仕事も大事。でもできる限りいつまでもサッカーを続けていきたいというのが、女子サッカーの本当の姿」と江川さん。女子サッカーへの理解を広めたいという思いが、愛称誕生につながった。
明日から厳しい五輪予選に突入するなでしこジャパン。その戦いを、江川さんを含め、日本中の「なでしこ」たちが見守っている。
江川純子さん
(2011年8月31日)
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