サッカーの話をしよう
No.859 世界一のサッカーグラウンド
「ストップ!」
ブレーキがかかり、車は路肩に止まった。
タジキスタンとのワールドカップ予選の翌日、高さ三百数十メートル、世界最大の規模を誇るヌレークダムを訪れた。このダムひとつが生み出す電力で、タジキスタン一国の需要の9割をまかなうというから驚きだ。
急停車を頼んだのはその帰途。右手眼下に広がる河原に粗末なサッカーグラウンドがあり、子どもたちが遊んでいるのが目にはいったからだ。同道のカメラマンにとって絶好の被写体になるはずだ。
でこぼこの土のグラウンド。白っぽい石を並べたゴールライン。鉄パイプを組んだ一対のゴール。広さは日本でいえば少年用のグラウンド程度だろうか。粗末な普段着姿のままの20人ほどの子どもたちが、大声を張り上げながらボールを追っている。攻撃側のGKはつまらなそうにしゃがんでいる。世界のどこでも見られる光景だ。
だが河原に下り、ゴール裏から見て驚いた。子どもたちが遊んでいるピッチの隅で、何人もの若者がクワを振るっているのだ。
畑仕事ではない。ピッチ内にはみ出した土手を切り崩し、まっすぐにしようとしているのだ。よく見ると、グラウンドに埋まった大きめの石を取り除こうと、懸命に掘っている青年たちもいる。
キシラクというこの集落の河原には、近くのトンネル工事の廃材置き場があった。その用途がほぼ終了したとき、村の少年たちは工事会社に自分たちのサッカー場として使わせてほしいと申し出た。
だが大人は何もしてくれない。彼らは自分たちでまず廃材を片付け、スコップとクワで平らにならし、廃材のなかから見つけた鉄パイプでゴールを組み立てた。そしてようやく、子どもたちが走り回ることができるグラウンドが姿を現した。
だがそうして小学生たちが遊び始めても、中学生や高校生は毎日ツルハシやクワやリヤカーをもって集まる。石を取り除き、タッチラインを広げ、雨が降ると水たまりになるところに土を入れてならし、整備作業を続けているのだ。
「工事監督」は17歳だという。何という青年たちだろうか。気高い自立心、労働をいとわない精神、そして年下の子どもたちへの思いやりに打たれ、私は茫然と立ち尽くした。
そして、これこそ、旧ソ連時代に20年をかけて建設された高さ三百数十メートルの巨大ダムに負けない、「世界一」のサッカーグラウンドだと思った。
(2011年11月16日)
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