サッカーの話をしよう
No.863 宇宙人バルセロナを目指せ
「バルセロナは宇宙人だと思いますか」
18日に行われたFIFAクラブワールドカップ(FCWC)決勝戦。試合後の記者会見で、ある仲間の記者は完敗を喫したサントスの監督にこう質問しようと思ったという。
それほどまでにバルセロナは別格、異次元の存在だった。シャビ、イニエスタ、メッシといった選手たちがテンポよく短いパスを回す様子は、サッカーの概念さえ変えかねないものだった。
サッカーは「ミスのゲーム」である。
どんな選手でもミスをするからプレスをかける意味がある。ところがバルセロナはそのミスが出る確率が非常に低い。サッカーではなくハンドボールを見ているようだった。
「宇宙人と思うか」と聞こうとした友人の気持ちはよくわかる。40年ほど前、テレビで初めてブラジルのサッカーを見た私たち日本人のショックもまったく同じだったからだ。
「これが同じ人間のすることか」―。
70年ワールドカップで全勝優勝を飾ったブラジルは、ペレ、トスタン、リベリーノ、ジェルソン、ジャイルジーニョと、この国のサッカー史のなかでも最高の名手を並べていた。そして彼らが「ジョゴ・ボニート(美しいゲーム)」と呼んだサッカーが生まれた。
東京オリンピックを契機にサッカーという競技がようやく知られ始めたころ、一部の地域を除き、日本のサッカーはやみくもに前にけって走るという時代だった。「ドリブル」とは小さくけりながら前に進むこと。フェイントも何もなかった。
だがそんな時代に、「日本の子どもたちにも、ペレのような技術をつけさせたい」と指導を始めた人が全国各地にいた。世界のサッカーの情報においては「鎖国」時代と大差がなかったころ。彼らは創意工夫して練習方法を考え、子どもたちを導いた。当時からすれば「宇宙人」のようだったブラジルをまじめに目指した指導者たちの情熱こそ、間違いなく、現在の日本サッカーの礎だった。
そしていま、新たな目標はバルセロナだ。シャビ、イニエスタであり、メッシだ。
絶対に不可能ではない。40年も必要としない。70年代はじめ、日本にはサッカーボールが1万個程度しかなかっただろう。いまは数百万個ある。施設も、何よりサッカーに情熱を傾ける子どもたちの数も激増した。必要なのは指導者自身の夢と情熱、そして氾濫する情報に惑わされない創意工夫に違いない。
(2011年12月21日)
1993年から東京新聞夕刊で週1回掲載しているサッカーコラムです。試合や選手のことだけではなく、サッカーというものを取り巻く社会や文化など、あらゆる事柄を題材に取り上げています。このサイトでは連載第1回から全ての記事をアーカイブ化して公開しています。最新の記事は水曜日の東京新聞夕刊をご覧ください。