サッカーの話をしよう
No.873 イスラム女性の情熱を止めるな
「事件」が起こったのは昨年の6月3日。ヨルダンの首都アンマンでのことだった。
女子ロンドン五輪アジア2次予選初日、ヨルダンとイランが日本の山岸佐知子主審を先頭に入場した。だが試合がキックオフされることはなかった。国際サッカー連盟(FIFA)の役員がイランの失格を宣言したのだ。
女子イラン代表は、全員が頭部と首を「ヘジャブ」と呼ぶイスラム式のスカーフで覆っていた。それがルール違反と指摘された。
イスラムの戒律では女性が顔と手の部分以外を人前にさらすことを禁じている。アジアのイスラム圏で女性のサッカーの試合が行われるようになって以来、長いジャージとヘジャブ姿は珍しいことではなくなった。真夏の試合では大きなハンディだが、それでもサッカーをしたいという女性たちがいるのだ。
もちろん宗教は個々のもの。同じ国の同じイスラムの選手でもヘジャブをつけずに短パン姿でプレーする女性もいる。しかしその一方でイスラムの戒律をそのまま法律にしている国もある。そのひとつがイランだ。
ヘジャブがたびたび問題にされるため、イランはこの予選前に新しいデザインのものを開発した。伸縮性の素材を用い、首と髪を同時に覆うことができる機能的なものだった。
昨年のルール改正時に「引っ張られると危険」という理由により「ネックウォーマー」が禁止になった。イランの新型ヘジャブはそれに抵触するというのが、FIFA役員の解釈だった。ファッション感覚のネックウォーマー着用禁止はいい。しかしヘジャブが危険とはとても思えない。
今週土曜(3月3日)にロンドン近郊のホテルで国際サッカー評議会(IFAB)の年次総会が開催される。サッカーのルール改正を決める唯一の会議。その席上で、アジアサッカー連盟とFIFAでともに副会長を務めるヨルダンのアリ王子が「アジアの女子サッカー振興のため、ヘジャブ着用を認めてほしい」と要請する。
20世紀前半には、ヨーロッパでも女子選手は帽子をかぶったままプレーしていた。それが社会の規範だった。
世界の各地で、人びとは他の地域では想像もつかない種類の制約の下にいる。サッカーが「世界のゲーム」になったのは、どんな制約下でもプレーしたいという人びとの情熱のおかげだった。宗教の戒律に従いつつ、不便を忍んでなおサッカーをプレーしたいという女性たちの情熱を止めるのは間違っている。
(2012年2月29日)
1993年から東京新聞夕刊で週1回掲載しているサッカーコラムです。試合や選手のことだけではなく、サッカーというものを取り巻く社会や文化など、あらゆる事柄を題材に取り上げています。このサイトでは連載第1回から全ての記事をアーカイブ化して公開しています。最新の記事は水曜日の東京新聞夕刊をご覧ください。