サッカーの話をしよう
No.890 香川真司 プレミアでの大きな使命
香川真司のマンチェスター・ユナイテッド(イングランド・プレミアリーグ)への移籍が正式決定した。移籍金約17億円、年俸約3億7000万円と伝えられている。
プレミアリーグは現在世界で最も「成功」しているリーグだ。英国の調査会社によれば昨年のリーグ総売り上げは欧州でも他の追随を許さない約2500億円。1クラブ平均125億円は、Jリーグ(J1で平均約30億円)の4倍強という数字だ。その筆頭がユナイテッドであり、昨季は約367億円の売り上げを記録した。
その財力を背景に、現在のプレミアには世界中のスター選手が集まる。かつてはイタリアのセリエAが世界をリードしていたが、いまや「サッカー世界の首都はプレミア」と言っても過言ではない。そのスターたちが繰り広げる華やかなショーは世界中でテレビ放映され、それがまたプレミアにカネを集める。
だが英国のノンフィクション作家R・ハバーズはこう書く。「もはやサッカーはサッカーではない」(ヘインズ社刊『サッカーがサッカーだったとき』)
「いまやプレミアリーグのサッカーは勝利至上のビジネスであり、すばらしい技術よりも身体能力とスピードが重視される競技となってしまった」
スタジアムはわずか20年ほど前と比較すると見違えるばかりに美しくなった。だがスタンドの大きな部分を占めるのはスポンサーのための特別席。かつて試合に生命感を与えていたサポーターたち、労働者階級や若者たちは、高騰した入場料に悲鳴を上げ、スタジアムから足が遠のいた。
自宅にいても毎週末にはビッグクラブの試合を楽しむことができる。一方クラブにはテレビとスポンサーから夢のようなカネが流れ込む。だがこの20年間で大きなものが失われたとハバーズは嘆く。
華やかさの陰で大事なものが壊れつつあるイングランドのサッカー。香川真司という選手がその流れを引き戻すひと役を買えるのではないかと、私は密かに期待している。
香川はドイツの中堅クラブをほとんど一夜で王者に変えた。香川がからむことでボルシア・ドルトムントの攻撃は生命が吹き込まれた。その特別な才能はユナイテッドでも発揮されるに違いない。
得点やタイトルにとどまらず、プレミアリーグに新しい喜びを創造し、「サッカーをサッカーに戻す」―。大げさでなく、香川にはそんな使命があるように思えてならない。
(2012年6月27日)
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