サッカーの話をしよう
No.903 若者と緑と教会の町ブロツワフ
「若者と緑と橋と教会の町」
きのう日本代表がブラジルと対戦したポーランド南西部のブロツワフは、自分たちの町をこう表現している。
人口は約65万人。しかし市内に5つの大学があり、8万人もの学生が生活している。町はチェコに水源を発するオーデル川が複雑な中州を形勢する土地に位置し、市内に200を超す橋があるという。そして緑あふれる町のどこにいても、どこかの教会の尖塔(せんとう)を見ることができる。
だがそれだけではない。ブラツワフはサッカーの町でもある。
今夏開催された欧州選手権(EURO)の会場のひとつに選ばれ、3試合が行われた。そしてポーランド随一のパワーを誇るサポーターを擁する「シロンスク・ブロツワフ」のホームでもある。
65年の歴史をもつシロンスクは、昨季、実に35年ぶり2回目のリーグ優勝を飾った。5月4日のリーグ最終日、アウェーのクラクフ戦。勝たなければ優勝はないシロンスクだったが、後半9分にスロベニア人MFエルスナーが決めた1点を守り1-0の勝利。スタンドの3分の1を埋めた「緑のサポーター」の喜びが爆発した。
「その夜、ブロツワフ中心部の旧市場広場には何万人もの人が集まり、明け方までお祭りが続いたよ」
ブロツワフでサッカーのサイトを運営するプシェメクさんは、思い起こしながら幸福そうな表情を浮かべる。
今季、シロンスクは7節を終わって4勝1分け2敗で4位。だがその4勝は、すべてホームで挙げたものだ。
日本対ブラジル戦で使われたスタジアムはEUROのために昨年完成したもので、収容4万2771人。市民の誇りでもある。シロンスクは8000人収容の自前のスタジアムをもっているが、昨年来ここを舞台に戦うようになり、最近の平均観客は2万人を超す。
ブロツワフを中心とするシロンスク地方はドイツやチェコとの国境に近く、チェコ、オーストリア、プロシャ、そしてドイツと次々と支配者が変わってきた。第二次大戦後にはソ連によってドイツ領からポーランド領に編入され、住民を強制的にドイツに追い出してウクライナから入植させたという壮絶な歴史ももっている。
だが現在のブロツワフは、ポーランド経済を担う中心都市のひとつとして、水と緑の豊かな、落ち着いたたたずまいを見せている。
代表を追いながら、またひとつ「お気に入りの町」を見つけた。
(2012年10月17日)
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