サッカーの話をしよう
No.917 ユニホームの胸広告の話
メッシやシャビがついに広告塔になる?
1899年の創立以来ユニホームの胸に商業広告をつけなかったバルセロナ(スペイン)が、その方針を大きく変える。来季、「カタール航空」のロゴをつけることになった。
バルセロナは2006年以来ユニセフに多額の寄付をし、胸にもユニセフのマークをつけて活動を支援してきた。昨年、非営利のカタール財団と5年で2億ドル(約180億円)の契約を結んだが、新シーズンからロゴを航空会社のものに替えることになったのだ。
あって当然、ないと少し寂しい気さえする胸広告。しかし1970年代までは蔑視(べっし)さえされていた。
最初に胸に広告を入れて収入増を計ったのは、50年代、ウルグアイのペニャロール。だが欧州では抵抗が大きかった。70年代前半までの西欧で胸広告を認めていたのはフランスだけ。数や大きさの制限もなかったため、ユニホームは大小のロゴだらけで、まるでF1の車のようだった。
73年に西ドイツのブラウンシュバイクが地元の酒造会社「イエーガーマイスター」と契約、リーグの禁止令を無視してブンデスリーガの試合に出場した。リーグは半年後に追認するしかなかった。74年にはバイエルン・ミュンヘンが胸にアディダスのロゴをつけて世界的に有名になった。
イングランドでは、76年1月にセミプロのケッタリング・タウンというクラブが地元の自動車修理工場「ケッタリング・タイヤ」と契約。リーグが警告すると「ケッタリング・T」と変えた。そして「TはタウンのT」と説明した。なかなかの粘り腰だが、リーグは「罰金を科す」と脅した。イングランドのリーグが胸スポンサーを認めたのは翌年のことだった。
いまでは胸広告で年間20数億円をかせぐマンチェスター・ユナイテッドが初めて契約したのは82年、日本のシャープだった。年間10万ポンド(当時のレートで約4500万円)だったという。80年代のイングランド・リーグは、JVC(アーセナル)、NEC(エバートン)など日本の電機業界の花盛りだった。
ある調査によれば、現在の欧州の主要5リーグの胸広告料の総額は年間約560億円、1クラブ平均6億円近くになるという。
不況が続く日本ではスポンサー探しに苦労するクラブも多く、その契約料も千差万別。しかしクラブのイメージはスポンサーのイメージにも直結する。プロサッカークラブの責任は、多様で重い。
(2013年1月30日)
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