サッカーの話をしよう
No.925 アンマンの小さな土産物屋で
アジル・ハジさん(66)は、ヨルダンの首都アンマンの西にある小さなショッピングセンターの小さな土産物店で働いている。観光客がいる地域ではないので、店はとても暇だ。
ヨルダンとのワールドカップ予選を夕刻に控えた3月26日の朝、私は宿泊していたホテルに近いこのショッピングセンターを歩いていてアジルさんの店を見つけ、私のチームの選手たちへのおみやげを買おうと考えた。
必要なのは30個。安くてかさばらないものでなければならない。幸い1個1ディナール(約130円)のピンバッジが見つかった。アジルさんは丁寧に数え、「これはおまけ」と3つ付け加えてくれた。そればかりか、小さな置き物を「これはあなたに」と別の袋に入れてくれた。
いちどホテルに戻り、スタジアムに出かける前に写真家の今井恭司さんと昼食に出た。今井さんも土産物店を見たいと言うので行ってみた。
「ああよかった。探していたんだ」
私を見るなり、アジルさんがこう言う。
「さっきは1個1ディナールと言ったが、あとで店のオーナーに聞くと0.75だったんだ。だからお金を返さなければならない」
思いがけない申し出に、私は驚いた。たくさんおまけしてくれたのだから、返金は不要と返事した。
しかしアジルさんは「それはだめだ」と言うと、財布から5ディナール札を1枚、1ディナール札を2枚、そして半ディナールのコインを2枚出すと、私の手に握らせた。0.25ディナールかける30は7.5ディナールなのだが、半ディナールは気持ちなのだろう。
私はその8ディナールをそのままポケットに入れる気になれず、「何か買い物しませんか」と今井さんに言うと、1個1ディナールのキーホルダーを8個選んできた。
手の中の8ディナールをそのままアジルさんに返した。アジルさんはキーホルダーをきれいに包み、さらに別の棚に行って、私にくれたように、小さな置き物と死海特産のせっけんを袋に入れ、「これはあなたに」と今井さんに差し出した。
「世界中を旅行してきたが、あなたのような人に会ったのは初めてだ」と言うと、アジルさんは「当たり前のことをしただけです。ヨルダンにようこそ」と、優しさにあふれた笑顔を見せた。
アジルという名には「公正な」という意味があるという。アジルさんの笑顔には、この国の人びとの人柄の良さが象徴されていた。
(2013年4月3日)
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