サッカーの話をしよう
No.931 ライバル関係がつづったJリーグ20年
5月11日の「Jリーグ20周年記念試合」浦和×鹿島は、両チームのライバル意識が火花を散らし、激しく、緊迫した試合だった。
思えば、Jリーグの歴史も、それぞれの時代でライバル間のしのぎを削る戦いがつくってきたものだった。
スタート当初の最大のライバル関係は、ヴェルディ川崎(現東京V)と横浜マリノス(現横浜FM)だった。日本サッカーリーグ時代の末期のライバルがそのままJリーグ時代に持ち込まれ、93年5月15日の開幕カードにも選ばれた。
V川崎は攻撃陣にカズ(三浦知良)、ラモスといったスーパースターを並べ、横浜Mも木村和司、井原正巳などそうそうたるメンバー。95年、V川崎の3連覇を阻止したのが、横浜Mだった。
それに続いたのが鹿島アントラーズとジュビロ磐田の時代。96年から02年まで7年間、この2クラブがほぼ交互に優勝を分け合ってタイトルを独占した。
ジーコ引退後もジョルジーニョなどワールドクラスの選手を軸にハイレベルのチームを保ち、やがて柳沢敦、小笠原満男など日本人選手の成長でタイトルに挑戦し続けた鹿島。一方の磐田も、ブラジルの猛将ドゥンガが去ると、中山雅史を中心に名波浩、藤田俊哉、福西崇史など日本人の才能を開花させて圧倒的な攻撃力をもった。
21世紀にはいると新しいライバルが生まれる。ガンバ大阪と浦和レッズだ。西野朗監督が遠藤保仁の技巧を中心に組み立てたG大阪。対する浦和は、Jリーグ最大の集客力をバックに闘莉王など日本代表クラスの補強で力をつけた。
ともにJリーグ優勝はいちどだけ。しかし活躍の舞台をアジアと世界に広げた。07年に浦和が、08年にはG大阪がAFCチャンピオンズリーグを制覇し、FIFAクラブワールドカップではともに3位を占めた。
ただ、その後はあまり明確なライバル関係は見られない。最近は3年にわたって初優勝が続いている。10年名古屋グランパス、11年柏レイソル、そして12年サンフレッチェ広島だ。
いまやJリーグは世界にも類を見ない競争の激しいリーグ。それぞれの監督の志向するチーム戦術を忠実に履行するチームが増え、スターの数ではなくサッカーの質の勝負になっているためだろう。
だが優勝を争う明確なライバルの存在があれば、リーグも盛り上がる。「乱世」のJリーグだが、今後、時代を画するような強烈なライバル関係がまた生まれるに違いない。
(2013年5月15日)
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