サッカーの話をしよう
No.947 六角編みのネットでゴールの感動を
9月になったばかりだが、私の胸には、「ことしいちばん印象に残ったゴール」がすでに決まっている。
6月4日、ワールドカップ出場をかけたオーストラリア戦。終了直前に本田圭佑が決めたPKだ。左足から放たれた弾丸シュートがゴールネットの中央を大きくふくらませ、一瞬止まった光景は、本当に感動的だった。
埼玉スタジアムのゴールネットが大きくふくらんだのは、六角形に編まれたものだったからだ。その六角編みのネットを日本で開発したのが、福井ファイバーテック株式会社(愛知県豊橋市)代表取締役社長の福井英輔さん(58)だ。
慶応大学でFWとして活躍、強化に力を入れていたヤマハ(現在のジュビロ磐田)に選手として入社したサッカーマン。89年に実家に戻り、家業の漁網会社の仕事に取り組み始めていたときに、90年ワールドカップ・イタリア大会を見た。
ゴールが決まると、ボールの勢いでネットが大きくふくらみ、感動が増した。さすがは専門家、ネットが「六角編み」であることに気づいた。当時日本ではすべて「四角編み」。シュートが強いとポンとはね返ってきた。六角編みには日本に数台しかない特殊な編み機が必要なのだが、幸い会社にあった。
試行錯誤、4年間をかけてサッカーに適した六角編みのネットの開発にこぎつけた。95年に磐田のスタジアムに取り付けられたのが日本で最初の六角編みのゴールネットだった。その良さが認められ、02年ワールドカップでは日韓の全20スタジアムで採用された。
だがゴールネットはいちど購入すれば何年間も使われる。とてももうけなど出ない。いまではサッカー関係事業の担当者は、社長ひとりだという。
それでも福井さんの情熱は尽きない。Jリーグでクラブカラーに合わせたカラーネットを推進するなかで、ワールドカップでは出場32カ国の色を使ったネットで「平和の祭典」をアピールしようという活動も始めている。
だが福井さんが最も愛情を注いでいるのは94年に六角編みネットをつけて発売した軽量小型ゴールだ。
「ミニゲームでもネットのついたゴールがあったほうがいい。子どもたちにも、ぜひボールがネットに吸い込まれる感動を味わってほしい」(福井さん)
伝説の名選手・杉山隆一監督自らにスピードと決定力をほれこまれ、ヤマハに入社した福井さん。「ストライカー魂」は衰えることを知らない。
(2013年9月4日)
1993年から東京新聞夕刊で週1回掲載しているサッカーコラムです。試合や選手のことだけではなく、サッカーというものを取り巻く社会や文化など、あらゆる事柄を題材に取り上げています。このサイトでは連載第1回から全ての記事をアーカイブ化して公開しています。最新の記事は水曜日の東京新聞夕刊をご覧ください。