サッカーの話をしよう
No.948 東京2020 新しいスポーツ文化を
たくさんのトルコの人びとが、フェイスブックに「おめでとう東京」のメッセージを書き込んでいるという。
2020年夏季オリンピック東京開催。競技場や練習場などスポーツ施設だけでなく、各種インフラの整備が進み、21世紀の東京ひいては日本のスポーツと生活の基盤がつくられることだろう。
もちろん、どの競技も競技力を上げ、金メダルを増やしてほしい。だがそれ以上に願うのは、この大会で世界に何かを提示したいということだ。
1964年の東京五輪は、日本国民にスポーツの素晴らしさと自ら参加することの喜びを教えた。56年後の2回目の五輪では、競技者・役員だけでなく観客も国民も成熟したスポーツ文化を共有し、世界に示すことができたらいいと思うのだ。
いまの日本では、勝てば大喜びする一方、負ければ仏頂面でうなだれるという「型」がある。勝つために全力を尽くすのはスポーツで最も重要な基本的態度だが、勝つことはすべてではない。
競技が終了すれば勝者も敗者もない。ともにスポーツを楽しんだ仲間がいるだけだ。仲間であれば、勝った者が相手を気遣って態度を慎み、負けた者も悪びれずに相手を称えるだろう。
元来、日本のスポーツにはこうした態度があった。根底に武道の精神が流れていたからだ。「勝っておごらず負けて悔やまず、常に節度ある態度を堅持する」(日本武道協議会『武道憲章第3条』)という「残心(ざんしん)」の教えが生きていたからだ。
だがいつのころからか、あたりかまわず狂喜する勝者と、大げさに倒れ伏したりふてくされてしまう敗者ばかりになってしまった。敗者はうなだれ、「恥じている」ことを示さなければ済まない空気になってしまった。
Jリーグでは、勝ったチームがサポーターに向かって手を振る一方で、負けたチームは「すみませんでした」とばかりに深々と頭を下げる。力の限りに戦った結果なら、負けても胸を張って手を振ればいいではないか。
7年後にオリンピックを迎えるときには、世界に誇ることのできるスポーツ文化の国でありたい。勝っても負けても、試合後には互いに笑顔で称え合う選手たち、そして観客・国民でありたい。
東京に祝福の言葉を贈るトルコの人びとの話を聞いて、「オリンピックのホスト国にふさわしいのは、トルコのほうだった」と感じたのは、私ひとりではないはずだ。
(2013年9月11日)
1993年から東京新聞夕刊で週1回掲載しているサッカーコラムです。試合や選手のことだけではなく、サッカーというものを取り巻く社会や文化など、あらゆる事柄を題材に取り上げています。このサイトでは連載第1回から全ての記事をアーカイブ化して公開しています。最新の記事は水曜日の東京新聞夕刊をご覧ください。