サッカーの話をしよう
No.957 ベルギーのシンデレラストーリー
ことしの世界サッカーの大きな驚きのひとつは、ベルギーがFIFAランキングで5位に躍進し、オランダ、イタリア、イングランドらを差し置いてワールドカップの第1シードに組み入れられたことではないか。
2002年ワールドカップで日本の初戦の相手となり、2-2で引き分けたベルギー。この大会でベスト16にはいったのを最後に国際舞台から遠ざかっていた。しかし14年ブラジル大会の予選は8勝2分けの無敗で独走、12年ぶり12回目の出場を決めた。
2007年6月に71位だったFIFAランキングは昨年5月のウィルモッツ就任時も44位、翌月は54位。だがその秋から急上昇し、ことし1月には20位、9月には6位、そして10月には5位。いまやワールドカップ優勝候補の声さえ上がる。
ベルギーは「英国外の世界最古のサッカー国」。1860年代にプレーが始まり、1878年に最初のクラブが誕生、1895年にサッカー協会が組織された。そして1904年にはフランスとともに国際サッカー連盟(FIFA)創設の主導者となった。
だが地元開催の1920年アントワープ五輪で金メダルを獲得したものの栄光は続かなかった。「中興」は1980年代。86年ワールドカップで4位と躍進した。しかし「赤い悪魔」の活躍も、2002年で途絶えた。
隣国のオランダが1970年代に世界に衝撃を与えるチームをつくり、以後ワールドカップ準優勝3回とサッカー大国の地位を確固たるものにしたのとは対照的に、ベルギーは地味な「二流国」に甘んじていたのだ。
大きな危機感を抱いたベルギーサッカー協会は選手の発掘と育成に力を入れ、2008年には北京五輪で4位という成果を得た。
そして昨年、ワールドカップ予選開始を前にマルク・ウィルモッツが監督就任。思い切って若手に切り替えたことがマジックを生んだ。ちなみにウィルモッツは2002年ワールドカップの日本戦の先制点得点者である。
イングランドのチェルシーで活躍するMFアザールだけでなく、何人もの若いアタッカーが彗星(すいせい)のように現れた。コンゴ生まれのFWベンテケ、旧ザイールの代表選手を父にもつFWルカクなどアフリカ系が増加しつつあることも、近年のベルギー代表の攻撃陣充実の大きな要因だ。
まるでシンデレラのような奇跡の主役ベルギーに、来週火曜日(11月19日)、日本代表が挑戦する。
(2013年11月13日)
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